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2014/10/24

<鳳仙花>◆韓国障害者の母、黄年代(ファン・ヨンデ)さん◆

 アジア最大の障害者スポーツの祭典「仁川(インチョン)アジアパラ競技大会」が18日に開幕、24日まで熱戦が展開されている。同大会の選手村村長として選手たちの世話を行っているのが、76歳の黄年代さんだ。

 3歳の時にポリオを発症して障害者となった黄さんは、同じ障害者のための医者になろうと決意。梨花女子大学校で医学を学び、小児科医となった。韓国初の障害者の女医である。患者の治療にあたる一方、韓国小児まひ児童特殊保育協会を設立、また障害者福祉体育会理事、障害者雇用促進公団理事長を歴任するなど、障害者の人権と福祉に生涯を捧げた。その不屈の精神に敬意を表したい。

 セブランス病院小児病棟で働いていた1965年、こどもの日に青瓦台(大統領府)に招かれた子どもたちが、広い庭で遊んでいるのをテレビで見た小児まひの子どもたちが、「私たちも青瓦台に行きたい」と話すと、その願いをかなえるため陸英修(ユク・ヨンス)大統領夫人(当時)に手紙を書いた。その手紙を読んだ夫人から招待を受け、子どもたちと青瓦台を訪ねた。障害者福祉にかける黄さんの情熱を示すエピソードである。

 88年に開かれたソウルパラリンピックでは、黄さんの名前を取った「黄年代功績賞」が創設された。これは公正・正直というパラリンピックの精神を体現し、世界中に感動を与えた選手、男女それぞれ1名に贈られる大会最高の賞で、同年以後、大会ごとに授与されている。黄さんの活動が、いかに世界で高く評価されているかの証しといえるだろう。

 選手村を駆け回る黄さんは、大会初参加の北朝鮮の選手たちとも笑顔で記念撮影を行った。黄さんは「障害を持つ人たちを見ると(76歳のいまも)涙が止まらない。今大会をきっかけにアジア、そして世界の障害者福祉、障害者スポーツがより発展することを願う」と語っている。黄さんが願う障害者が自立し、差別のない社会を一日も早く実現させたい。(L)