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2005/04/22

<在日社会>在日の千里馬神戸ジム・初の世界チャンプ誕生

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    タイのウィラポンを破ってWBC世界バンタム級チャンピオンになった
    長谷川穂積

 在日3世の千里馬啓徳(47、本名=金啓徳)が運営する千里馬神戸ジム所属の長谷川穂積(24)が、16日に行われたWBC世界バンタム級タイトルマッチで王者ウィラポン・ナコンルアンプロモーション(36、タイ)を判定3対0で下し、新チャンピオンとなった。ジム発足20年目で初の世界王者誕生だ。

 千里馬啓徳は57年、神戸市生まれ。20歳でボクシングを始め、79年7月にプロデビューした。在日の誇りを大切にしたいと、祖国のシンボルだった千里馬をリングネームにした。

 在日であることを明らかにし、在日社会の期待を一身に背負ってもきた。82年、小児がんに侵された在日の少年・慎基峰君が、「同胞の千里馬選手のサインがほしい」と話していることを担任の先生の連絡で聞き、見舞いに駆けつけて「チャンピオンになる」と約束したが、その約束を果たす前に少年は亡くなってしまったというエピソードもある。

 83年1月に日本ミドル級王座を獲得、その後5度防衛した。重量級のため対戦相手が少なく、米国遠征を重ねたこともある。またライトヘビー級に階級をあげて東洋太平洋王座にも挑むなど、強い闘争心で戦い抜いてきた。

 ジムを開設したのは86年のことだ。玉清美夫人がマネージャーを務め、二人三脚でジムを運営してきた。その間89年に一度現役復帰したこともある。

 95年の阪神・淡路大震災ではジムは大丈夫だったものの、周辺の建物は倒壊する大被害を受けた。震災直後から千里馬会長は被災者の支援にあたり、行方不明者の捜索などにも尽力してきた。

 その千里馬会長が「(一生に一度でなく)十生に一度の逸材」と言わしめたのが長谷川穂積だ。

 長谷川は兵庫県出身。元プロボクサーだった父の長谷川大二郎さんに小2の時からボクシングを教わってきた。99年11月にプロデビュー後、2003年5月にフィリピンのジェス・マーカを倒して東洋太平洋バンタム級王座につき、その後3度の防衛を果たした。 
 
 そして今回、世界チャンピオンに初挑戦し、常に攻め続けるボクシングで見事栄冠に輝いた。
 
 神戸唯一のボクシングジムでのチャンピオン誕生という快挙で、5月14日に神戸市内で行われる「神戸祭り」に参加し、チャンピオンベルトを掲げてパレードする予定だ。7月には神戸で初防衛戦が予定されている。千里馬会長は、「長谷川時代は当分続く」と自信を見せる。

◇千里馬啓徳 会長◇

 勝利の瞬間は『やった!』と思った。相手は36歳でこちらは24歳。研究も十分にしていて勝算はあった。これまでジムを支えてくれた大勢の人々の血と汗で成し遂げた優勝だと感じている。82年に在日の小児がんの子どもからファンレターをもらったが、今回ご両親に手紙を出した。子どもの遺影を持ってテレビの前で応援してくれたとのことで、その声援も大きな力になったと感謝している。在日を明らかにしたことで苦労したこともあったが、すべて跳ね返してきた。

 ボクシングは孤独な戦い。指導は大切だが、最後は個人の根性、気力、練習が重要になる。選手のいい所を引き出しつつ、闘争心を高める指導をしてきた。自分の現役時代と長谷川のファイトがとても似ていると、今回周囲の人に言われた。今後もハングリー精神を大切に、勝ち続けることが出来るよう指導していく。