ここから本文です

2005/11/04

<在日社会>「生きるために闘った」

  • zainichi_051104.jpg

    ソン・ヘソン 1964年生まれ。漢陽大学演劇映画科卒業後、韓国映画アカデミーに通う。99年監督デビュー。『力道山』で大鐘賞監督賞を受賞。

 戦後最大のヒーローと呼ばれたプロレスラーの力道山を描いた韓国映画「力道山」が、東京国際映画祭のクロージングで上映された。韓国出身の力道山がどうして日本の英雄となり、出自を隠して生きることになったのか、興味深く描かれた作品である。来日したソン・ヘソン監督に話を聞いた。

 日本のスーパーヒーローと呼ばれた力道山を映画化するにあたって、ソン監督は当時の新聞資料、ニュースフィルム、関係者の著作など丹念に調べた。その成果が映画の随所に現れている。一方で恋人との出会いなどはフィクションだ。

 「フィクション70%、ノンフィクション30%という割合で作った。力道山の物語というより、力道山の姿を借りて、いまを生きる人間達の姿を描きたかったからだ。シナリオは2つ用意した。史実に則して説明を多くしたシナリオ、もう一つは説明部分よりも物語性に力をいれたものだ。結果的に物語に重点を置いたシナリオにしたが、日本公開にあたっては韓国版より説明を多くした。韓国より日本の映画ファンの方が説明重視と聞いたからだ」

 日本での長期ロケを断行し、セリフのほとんどが日本語という異色の韓国映画。最初入門していた相撲部屋での生活、街頭テレビで力道山の活躍を見る群衆、ハリウッドスターの邸宅を思わせる豪華な自宅、やくざに刺されたバーなど、当時をしのばせるセットが緻密に作られた。

 「力道山の生きた時代の空気を出したかったので、日本ロケを行うことに決めた。当時を知る日本人が見ても違和感ないセットにすべく調査を重ねた。セリフの98%が日本語になったのも同じ理由からだ。主役のソル・ギョングが必死に日本語を勉強してくれたことに感謝している」

 アジアのデニーロと呼ばれるソル・ギョングは、NHKのアナウンサーがシナリオを素読みしたテープを何回も聴き、共演の中谷美紀や藤竜也ら日本人俳優にも教わりながら、必死で日本語をマスターした。またレスラーの外見を作り出すために、体重を20㌔以上増やし、トレーニングを積んで撮影に臨んだ。その甲斐あって迫力ある格闘シーンが再現されている。

 「日本語がわからずに一番苦労したのは私かもしれない。ソル・ギョングがいい演技をしてくれたのでOKと言ったら、実はまだ日本語のセリフの途中だったということもあった(笑)。レスリングシーンは特殊撮影が出来ず、俳優の生身の身体に頼らざるを得なかった。プロのレスラー相手にソル・ギョングらが、役者魂を発揮して遜色ないファイトを披露してくれた」

 映画のポイントの一つが、力道山が日本人のヒーローであるため、韓国人であることを隠していた点だ。相撲部屋での民族差別に始まり、韓国から知人が来ても会おうとしなかった話、周囲に隠れて友人の焼き肉屋を訪ねた話などがエピソードとして出てくる。

 「力道山が亡くなった直後の日本のある雑誌で、『力道山は本名・百田光浩、一説に朝鮮人といううわさもあるが、彼の功績を尊重して力道山と呼ぶ』と書かれた記事があった。力道山は他国で生き、死んでも本名で呼ばれることはなかった。もちろん彼が民族的自尊心を持っていたという話も伝わっている。ただ映画ではあえて民族的な部分を描かなかった。異国にいると愛国心が強まるという説があるが、決してそうとは限らない。彼にとっては、まず生きることが大切だった。どんな人の人生にも、すべて隠された部分があるものだ」

 「50年前に実在したある一人の男が自分の人生を全力で駆け抜け、時代を席巻し生き残るために戦ったことを、これからの時代を生きる人々に私はまず伝えたかった」と、ソン監督は最後に強調した。

 同作品は東京国際映画祭のクロージングに選ばれたが、その舞台あいさつでは藤竜也が、「力道山が韓半島出身であったことを知らない日本人は多い。韓日の戦後史を知る作品でもある」と語った。映画は来春、日本全国で一般公開される。