ここから本文です

2008/02/22

<在日社会>五輪日本代表・李忠成選手、「サッカーで韓日の懸け橋に」

  • zainichi_080222.jpg

    李忠成選手 (c)KASHIWA REYSOL

  • zainichi_080222-1.JPG

                鄭大世選手

 北京五輪日本代表となった在日4世の李忠成選手(22、FW、柏レイソル)。日本代表FWとして、五輪本番での得点が期待されている。李忠成選手に話を聞いた。

 3月のJリーグ開幕、そして8月の北京五輪に向けて練習を重ねる李選手。06年に反町康治・五輪代表監督が李選手のプレーを見て強い関心を持ち、日本代表入りを打診した。07年2月に日本国籍を取得して代表チーム入り。米国戦で代表デビュー。一気にマスコミの脚光を浴びる存在となった。

 「23歳以下の五輪代表は一度しかないチャンスなので、それをつかみたかったし、自分のプレーが世界でどこまで通用するか試したかった。この1年で大きく注目されて生活が変わった。注目を浴びたからこそ成長したし、一つ一つの行動にも気を付けるようになった。日々の練習、そして試合で常に100%の力を出し切りたい」

 昨年11月のアジア最終予選ベトナム戦で2得点をあげ、五輪出場権獲得に貢献した。

 「去年で一番の試合だった。勝利の女神が微笑んでくれたと思った。五輪本番でも必ず得点をあげ、チームを盛り上げたい。それがFWの役目だから」

 在日3世の父は若い頃、サッカー日本リーグの選手として名を馳せた。母は在日2世。民族文化を大切にする家庭に育ち、李選手も小学校まで民族学校に通った。

 「父がサッカーをしている姿を実際に見たわけではないが、話には聞いていた。その影響か、自分も小さいときからサッカー選手になりたいと考えていた。父からは、お前は日本人ではないから同じ実力だったら負ける。勝負事は絶対負けてはいけない。人の数倍努力しろと言われた」

 アイディンティティーの証しとして、本名に強い思いを持つ。

 「地元のクラブでサッカーを続けるため地域の中学に進んだが、日本名ではなく本名で通うことにした。民族文化を守る家庭に育ったので、自分も子どもながらに民族意識があり、名前を大切にしたいと思ったからだ。李の名前を背負っている以上、勉強でもスポーツでも負けてはいけないと考え、常に一番を目指した」

 「日本で生まれ、サッカー選手として育ったので、日本代表になるのは子どもの時からの夢だった。しかし、日本国籍を取得するとき、李忠成の名前で帰化して、李を背負って生きたいと考えた。将来は日本代表としてワールドカップ出場を目指したい。サッカーを通して韓国と日本の懸け橋になりたい。そして在日社会に勇気を与えられれば、こんなうれしいことはない」


  り・ただなり 1985年東京生まれ。朝鮮第9小、柳沢中、田無高卒。こみねFC、横川FCジュニアユース、FC東京-18を経て04年FC東京、05年柏レイソル。FW。182㌢、74㌔。


◆在日3世の鄭大世選手・東アジア選手権で活躍

 在日3世の鄭大世(チョン・デセ)選手が、サッカーの東アジア選手権で北朝鮮代表として活躍している。17日の対日本戦で1得点をマーク、20日の韓国戦でも1得点を決めた。

 鄭選手は、愛知第2朝鮮初級学校4年生の時にサッカーを始め、朝鮮大学校卒業後の06年、川崎フロンターレに入団。

 元水戸ホーリーホックの黄学淳に続き、同校から直接Jリーグ入りした2人目の選手。ずば抜けた運動能力を持ち、得点後のパフォーマンスではバク宙を披露。

 07年シーズン後半からはスタメンに定着しゴールを量産、12得点を挙げた。

 また、同年6月にマカオで行われた東アジアサッカー選手権予選の北朝鮮代表に選ばれ、3試合で8ゴールを量産して得点王となり、チームの本大会出場に貢献した。