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2009/08/28

<在日社会>徳島県大日寺の韓国人女性住職・                                                 韓日結ぶ金昴先(キム・ミョソン)さん

  • 徳島県大日寺の韓国人女性住職・韓日結ぶ金昴先さん

            大日寺の金昴先住職

 徳島県で「住職は舞姫」と話題を呼んでいる韓国人女性がいる。お遍路で有名な四国88カ所霊場で唯一外国籍の住職、金昴先さん(キム・ミョソン、52)がその人。恒例の夏の阿波踊りで金さん率いる舞踊団が韓国舞踊を演じ、地元の韓日交流に一役買っている。「住職と舞踊家」を両立させている金昴先さんは、地元で知らない人はいないほどの有名人だが、そこに至るには人知れない努力もあった。いまの願いは、「生涯を通じて韓日交流の懸け橋」になることだという。今の心境などを聞いた。

 今月16日の阿波踊り後に「韓国舞踊特別公演」が行われ、金昴先舞踊団のメンバー40人は、約800人の観客に華麗な舞いを披露した。特に、金さんの舞う芸術性の高い「僧舞」は観客を魅了、会場は大きな拍手に包まれた。人生とは不思議なものだ。金昴先さんは10歳の頃から伝統舞踊一筋で、19歳で人間国宝の李梅芳(イ・メバン)師匠に師事、師匠亡き後の人間国宝に指名されている一流舞踊家だ。それが日本でお寺の住職になった。

 きっかけは1995年に徳島で舞踊公演した際、宿泊先の大日寺での大栗弘栄住職との出会いだった。一目惚れ同然に翌年結婚、長男・弘昴(ホンミョ)君が誕生。しかしその後、07年4月に住職の夫が急死、昴先さんは「韓国に帰りたい」と弱気になった。だが、息子の弘昴君が「僕は父さんのような僧になりたい。20歳になるまで母さんが守って」と訴えた。

 決意は固まった。同年7月、得度(出家して受戒すること)して尼僧になり、同じ宗派(真言宗大覚寺派)の僧の指導で1から勉強。夫が弟子に読経の指導をしているときに録音したテープを丸暗記するなど寝る間を惜しんでの猛特訓が続いた。そして昨年12月に住職に就任した。

 「人間国宝の後継者になるためには厳しい修行が必要なのと同様、お坊さんになるにも、厳しい修行が必要だ。お経の梵語だけでなく作法なども覚えなければならず、日本のお坊さんの何倍もの努力を要した。例えば、目で見ていたらお経が遅れる。目で瞬間的に読むためには完全に暗記する必要があった。この2年間は4時間以上寝たことがない」

 住職の日常は厳しい。午前3時に起床し、お遍路さんに話す法話の準備を始める。その後、本堂で読経。朝食後はお遍路さんの受付や檀家の法事と続く。住職と舞踊家を両立させるのは大変だ。

 「韓国舞踊とお坊さんの修行は別物ではなく、私自身の中では踊りと僧を両立しているとの感じはない。韓国の舞踊家からは『僧侶になって踊るのだから、本当の僧舞が踊れている』と言われた。踊りが完成した思いであり、住職になって本当に良かった」

 舞踊が本職で、1988年に金昴先舞踊団を結成、李梅芳師匠らとともに世界各地を公演した。

 「100カ国ぐらいで公演した。韓国舞踊は衣装が華やかで品があり魅力的だ。また、打楽器もあり、リズムもいけるので、どの国でも反応はすごく良かった」

 18歳年上の大栗住職と結婚については周囲の強い反対があった。

 「アボジ(父親)だけは私を信じて反対しなかった。アボジは九州の大分県生まれで、日本が大好きだった。住職にはカリスマがあり、これ以上素晴らしい人との縁はないと思った」

 金さんは最初から徳島の社会に受け入れられたわけではない。むしろ様々な差別を受けた。

 「12月4日に愛媛県松山市で四国33観音霊場会講師として3000人の前で説法する予定だ。これは私を名実共に住職として認めるものだ。徳島も最初は閉鎖的で、住職になった時も最初は『外国人住職などとんでもない』と無視され、出て行けとも言われた。涙を流したこともある。いまは認めてくれ、愛されている。異物を受け付けようとしなかった社会も変化し、むしろ良さを認めるようになったのは何よりも嬉しい」

 願いは「韓日交流の架け橋」になることだ。

 「最初は踊りだけで交流と考えていたが、いまは仏教交流に力を入れている。大日寺は30年ほど前から韓国の曹渓宗と姉妹血縁し交流を続けており、韓国からのお参りも多い。私は徳島県の観光協会の理事も務めているが、韓国の観光客誘致にも力を入れたい。架け橋になることは山のようにあると思う。よく外国人1号の住職と言われるが、私が死んだら骨を埋めるのはここ。アジアは一つであり、今日国境に意味はない。徳島県人の住職と見てほしい」

 金昴先さんの活躍は、韓日をより良い社会へと着実に変えていっているようだ。