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2011/08/26

<在日社会>対馬藩が釜山に設置した居留地 "倭館"の復元を

  • 対馬藩が釜山に設置した居留地・”倭館”の復元を

    夫学柱さん㊧と池田修さん。後ろが復元中の倭館

 神奈川県横浜市で開催中のヨコハマトリエンナーレ2011の特別連携プログラムとして、「新・港村―小さな未来都市」が、「BankART(バンカート)1929」(池田修代表、54)の主催により新港ピアで開かれている。その展示の一つとして、江戸時代に対馬藩が韓半島南部に置いた日本人居留地「草梁倭館」の一部復元が進められている。在日3世の建築家、夫学柱さん(37)の復元計画に、池田さんが共鳴し、今回の再現となった。

 在日3世の夫学柱さんは、建築士で清泉女子大講師を務めている。大学の卒業論文などで97年頃から倭館の研究を行い、対馬藩の古文書などを調べてきた。2000年、コンピューターグラフィックス(CG)で倭館を再現し、昨年8月には「倭館再建の会」を、朝鮮との善隣外交に尽力した対馬藩の儒学者、雨森芳洲の子孫ら韓日の若手研究者4人で結成し、その代表を務めている。

 同会は韓日の市民団体や自治体に働きかけ、釜山に倭館を復元し、韓日交流の一助にしたいと考えている。

 バンカート1929は横浜市が、港湾施設などを文化芸術創造に活用して、界隈の文化活動の活性化を図る試みとして結成。池田さんはアートプロデューサーとして活動する一方、横浜市の委託を受けて建築やアートを通した国際交流活動に取り組んできた。

 そして、朝鮮通信使の足跡をたどりながら新たな日韓交流のネットワークを作る「続・朝鮮通信使」プロジェクトをスタートさせ、昨年8月にはソウル、釜山、対馬、下関、瀬戸内、大阪、横浜などを訪ねた。その過程で夫さんの活動を知ったことから、今回の一部再現が実現した。

 池田さんは、「朝鮮通信使は、書画や服飾、食文化も含め多くの影響を日本社会に残した。また朝鮮通信使を当時の大名や個々人がリレー形式で受け入れる、とても雰囲気の良い交流だった。その精神を若い世代に伝え、新たな交流を作り出していきたい」と話す。

 10月1日と2日には新港ピアで「朝鮮通信使シンポジウム」を開き、11月には韓国ツアーを計画している。また建築家やアーティストの交流も進めており、両国で作品を発表する計画だ。

 夫さんは、「倭館の建物は武家屋敷の作りだが、屋根は朝鮮式で建設されている。朝鮮と対馬の大工が共同で建てたことに特徴がある」と語り、「今年は朝鮮通信使が最後に来日してから200年目になる。11月5、6日に対馬市で『朝鮮通信使ゆかりのまち全国交流大会』が開かれるが、そこで対馬アートファンタジアを開き、倭館復元事業を多様な交流と重ねていく計画だ。両国の狭間にある対馬は、在日と同じような存在だ。対馬は韓日交流の窓口であり発信地でもあった。在日3世としてそういう役割を果たしていきたい」と強調した。