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2010/06/25

<オピニオン>韓国経済講座 第118回                                                        アジア経済文化研究所 笠井 信幸 理事

  • アジア経済文化研究所 笠井 信幸 理事

    かさい・のぶゆき 1948年、神奈川県生まれ。国際開発センター研究員、ソウル大学経済研究所客員教授、秀明大学大学院教授を経てアジア経済文化研究所理事・首席研究員。

 4大河川整備事業をはじめとする36のグリーン・ニューディール事業に4年間で50兆ウォンを投じ、96万人の雇用創出をめざす韓国。しかし、一方では開発に伴う環境問題が懸念されている。80年代の高度成長期には、経済活動が自然環境や人間に影響を及ぼした。低炭素・環境配慮・資源節約などを掲げる韓国のグリーン成長政策について笠井信幸・アジア経済文化研究所理事に分析していただいた。

 任期後半に入った李明博政権の牽引車は「グリーン成長戦略」だ。2009年1月に発表した、予算50兆ウォンで環境保全とインフラ整備を組み合わせたグリーン・ニューディール政策である。主要政策として、4大河川整備事業、グリーン交通網の拡充、エネルギー節約型住宅、学校などの整備、森林バイオマス利用活性化などが挙げられている。つまり環境保全を維持しつつ雇用拡大、成長促進を目指すものである。しかし、環境保全を維持・強化するためには環境技術もさることながら、環境を何としても維持・保全するという強い環境精神に支えられなければならない。

 かつて韓国も成長至上主義の中で環境問題では苦い経験があり、その解決がいまだに図られてないものもある。1980年代に石油化学・非鉄金属工業団地として開発が始まった温山(オンサン)工業団地で、90年代に入り周辺の農作物と養殖漁場に被害が出始め、住民1千余人が腰と手足などの全身がちくちくして痛いという症状を訴えたことが契機となって温山病問題として全国的に知られた。汚染源としてLG日鉱銅製錬所と高麗亜鉛製錬所が疑われたというが、高麗亜鉛製錬所は、亜鉛、鉛、銀、カドミウム等を生産し、後述する日本の神岡鉱山の亜鉛電解工場と同様、ベルギーから技術導入した設備であるが、6倍規模の大設備であると言う。

 温山でイタイイタイ病発生と報道されたが、イタイイタイ病や水俣病でなく、「温山病」と名付けられた複合汚染による公害病である。91年頃に最高裁判所判決で確定するまで、提訴から10余年の年月を経て韓国では初めて公害被害の認定を受けている。この間、韓国政府は公害被害を認定して住民たちの集団移住を決定して、工業団地に取り囲まれていた1万余人の住民を工業団地から2㌔離れた山間の盆地に移住させる措置をとったが、現在まで温山病の被害は認定したものの公害病とは公式的には認定していないと言う。

 慶尚南道固城(キョンサンナムド・コソン)郡三山(サムサン)の第一銅山からの排水汚染も深刻だ。04年6月に固城郡三山面でイタイイタイ病発生?と報道されたのが最初である。元々イタイイタイ病とは戦後、岐阜県の三井金属工業の神岡鉱山の鉱滓からしみ出たカドミウムが、神通川下流の水田を汚染し、そこで栽培された米を食べた人達から発症した公害であり、これを政府が認めたのは68年である。カドミウムは腎臓障害を起こし、その結果カルシウムの代謝に異常をきたし、骨からカルシウムが奪われ骨が脆(もろ)くなる。重症になると咳をしただけで肋骨が折れ、その激痛のためイタイイタイ病と言われている。

 経済活動が自然環境と人間に影響を及ぼした例はまだあるが、日本と同じく、こうした問題は当時の成長至上主義がもたらした事件である。グリーン成長はこうした失敗を決して繰り返してはならず、そのためには強い環境保全精神が欠かせないのだ。つまり、環境問題の外部性(環境汚染物質がもたらす経済的損失で、その補償のための費用が製品価格に含まれていないもの)がグリーン成長では排除されなければならないのである。

 ところで、自然界を環境汚染物質の捨て場所と考える環境問題の外部性を説明した考え方として、ギャレット・ハーディン(1915~03年)の『コモンズ(共有地)の悲劇』(サイエンス、68年)がある。環境資源の多くは、不特定多数の人々が共有しているコモンズである。コモンズを利用する場合、利用者の数が少なければ環境資源は再生可能な範囲で利用される。しかし、もし再生可能な利用を超えるような利用が起きたら、コモンズの利用者は、自分が利用しなければ他の人が利用してしまうから、自分が先により多くの環境資源を採取・利用した方が良いと考える。こうして我先にという競争がおき、環境資源が過剰利用され、やがて枯渇してしまう、と言うものである。

 しかし、歴史上の事実を丹念に調べてみると、ハーディンの言ったような理由を正当化することは難しいということが分かった。コモンズ(共有地)だから必ず悲劇が起きるわけではなく、維持・保全されるコモンズの例も沢山みつけることができる。ハーディンの言ったコモンズの悲劇という事象は、実はコモンズの悲劇ではなく、今ではオープン・アクセスの悲劇として知られている。コモンズには、オープン・アクセスとクローズ・アクセスがあり、オープン・アクセスとは、匿名性を以って誰でもがある資源を利用・獲得・処分できるような状況を言い、ごく少数、決まった範囲を伝統的利用される場合においては悲劇は起きないが、無原則に過剰利用されると悲劇となるのだ。クローズ・アクセスのコモンズには、通常資源利用のルールが共同体メンバーによって共有されていることが多く、このルールが守られさえすればコモンズの悲劇は起きないのである。カドミウム汚染はコモンズの悲劇より深刻である。共有すべき環境資源を毒化汚染し、これに依存して生活する人々の活動環境を奪うだけでなく、彼らの健康まで侵し生命をも奪うものである。グリーン成長戦略では、コモンズの悲劇を繰り返してはならない。


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