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2017/04/28

<オピニオン>韓国経済講座 第194回                                                        アジア経済文化研究所 笠井 信幸 理事

  • アジア経済文化研究所 笠井 信幸 理事

    かさい・のぶゆき 1948年、神奈川県生まれ。国際開発センター研究員、ソウル大学経済研究所客員教授、秀明大学大学院教授を経てアジア経済文化研究所理事・首席研究員。

◆ウェーバーに学ぼう◆

 浮き沈みの繰り返しだ。漢江の奇跡と言われた60・70年代、朴正熙大統領暗殺と経済危機の80年代初頭、三低景気、ソウルオリンピック開催の80年代後半、IMF危機の90年代後半、グローバル景気の2000年代、そして朴槿惠大統領弾劾とこの間韓国は大きな社会的変動を経験してきた。

 こうした韓国の社会的葛藤について、112回講座で以下のように指摘し、懸念を示したことがある。「社会的葛藤とは、複数の個人や集団、また組織や国家の間で対立する目標を持つために、利害の対立や緊張状態にある状況を指し、社会的葛藤が強いことが国家の安定性、発展性を阻害すると考えられる。経済発展過程における社会的葛藤の増大は、合意を形成する調整機構としての民主主義を希求し、最適合意に至るとされる。

 韓国も1987年の民主化以前はこの社会制度が権力に押さえられて機能しなかったが、その後経済発展とともに社会的葛藤が一挙に増大したため、この調整機能の発展が追い付かず、政権の独裁的調整機能で処理する習慣はそのまま残った。社会的葛藤を最適合意形成に導く民主的メカニズムが遅れたのだ」と。

 ここでの最適合意形成を導く政府機能は官僚制度にある。社会学者のマックス・ウェーバー(ドイツ、1864~1920)は、この官僚制を「家産官僚制」と「近代官僚制」に区分している。家産官僚制とは古代から中世、さらには近世の絶対主義国家にみられたもので、家産官僚制は主君と家臣の主従関係(身分制)によって成り立っており、家産官僚制では公私の区別はない。それに対し社会契約説によって成り立つ近代国家における「近代官僚制」は、身分制ではなく契約社会のルールが官僚制を構成しており、官僚は自由な意志に基づいて官僚職を選び、契約のうえで官僚になり公私の区別がある。このような「近代官僚制」こそが「純粋かつ合理的な官僚制」であると彼は考えた。こうした組織原理は、現代の政府組織のみならず企業、団体などにもみられるとともに、こうした機能的原則にそぐわない政治家、官僚、企業人がこの基準で批判されるケースも数多くある。近年の日本の中央・地方の政治家、官僚への疑念が好例である。

 しかし、社会学者ロバート・キング・マートン(アメリカ)達は、近代官僚制には逆機能があるという。つまり、官僚が能力に欠けたり、資質がないということではなく、むしろ職務に忠実なため規則や命令を頑なに重視するあまり、それさえ守ればよいということで、内部では形式主義、事なかれ主義、画一主義に陥ってしまう。外部に対しては、細かく煩雑で煩わしい面倒な手続きを押し付ける繁文縟礼となる。

 また、権限の原則、専門化は、各部門の利益ばかりを考えるセクショナリズムを生みやすく、責任の回避、秘密主義、権威主義といった欠点となる。上下関係の階層秩序は、下層に無関心を生みやすくなり、これらの逆機能が強まると、合理的なはずの官僚制が、非効率的なものとなると指摘している。確かに「お役所的」対応はよく批判される。こうした近代官僚制の逆機能は認めざるを得ないにも関わらず、依然として近代官僚制の機能は有効であり、韓国は最適合意形成を導く官僚制度機能が劣化していたと言える。


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