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2018/07/20

<オピニオン>韓国企業と日本企業 第65回 米朝首脳会談と激変する韓半島・北東アジア①                                                    多摩大学アクティブラーニング支援センター長 金 美徳 教授

  • 多摩大学アクティブラーニング支援センター長 金 美徳 教授

    キム・ミトク 多摩大学経営情報学部および大学院ビジネススクール (MBA)教授。1962年兵庫県生まれ。早稲田大学院国際経営学修士・国際関係学博士課程修了。三井物産戦略研究所を経て現職。

◆大転換期を迎えた北朝鮮情勢◆

 金正恩委員長は、2018年1月1日の「新年の辞」において核弾頭と弾道ミサイルの量産と実戦配備を指示する一方、韓国の平昌冬季五輪に代表団を派遣する用意があると声明を出した。これを受けて同年1月9日に南北閣僚級会談が行われ、北朝鮮が平昌冬季五輪に参加することが正式に発表された。北朝鮮は、18年2月9日~2月25日に開催された平昌冬季五輪にスキー・スケート・アイスホッケーの3競技に22選手、コーチ・役員24人、合計46人の選手団を派遣した。北朝鮮選手のトレーニングや準備費用総額500万円は、国際オリンピック委員会(IOC)が負担した。また、金正恩委員長の妹である金与正党第1副部長をはじめとする高官や応援団など418人を派遣した。北朝鮮の高官や応援団の宿泊費や食費など3億円は、韓国政府が負担した。北朝鮮選手の競技の結果は、残念ながらメダルを1つも獲得することができなかった。しかし、一時的にせよ北朝鮮情勢に緊張緩和をもたらしたことから、北朝鮮と韓国は平和外交の「金メダル」を獲得したとの楽観的な意見もある。

 文在寅大統領は、北朝鮮の平昌冬季五輪への参加を契機に、南北間に信頼関係を醸成し、その信頼関係を米朝対話へと拡大させ、最終的には核問題解決につなげて「好循環をつくる」という「平和五輪構想」を打ち立てた。これは、文大統領の公約であり、大統領就任後も一貫して進められてきたものである。実際、北朝鮮代表団が訪韓すると、韓国政府は4回に及ぶ会食でもてなし、文大統領と金与正党第1副部長がそろってアイスホッケー南北合同チームの試合を観戦するなど、南北関係の改善ぶりを世界にアピールした。この「平和五輪構想」は、IOCの協力も得ることができたことから、「平昌五輪」を「平和五輪」として見事に成功させることができた。「平和五輪構想」の成果は、何よりも南北関係の改善と韓半島の平和定着のための土台を築いたことである。平昌五輪がきっかけとなり、板門店の直通電話、西海(黄海)の軍通信線、陸路・海路・航空路などが再開された。また、南北分断後はじめて、北朝鮮の憲法上の国家首班である金永南最高人民会議常任委員長(国会議長相当、党内序列は第2位)と、最高指導者の直系家族である金与正氏が派遣されたことから、北朝鮮の南北関係改善への意志を確認することができた。さらに、金与正氏が「北朝鮮へ招待する」という兄・金正恩委員長の意を伝え、文大統領が「要件を整え実現させよう」と述べた。これは、事実上の南北最高指導者間の間接対話と位置付けられている。

 しかしながらいくら韓半島の平和のためといえどもあからさまな政治的意図から、「平昌五輪ではなく、平壌五輪だ」との韓国世論からの批判もあった。

 この文大統領の「平和五輪構想」は、賛否両論があったものの、北朝鮮選手の派遣・アイスホッケーの南北合同チーム・北朝鮮高官の訪韓などがきっかけとなり、韓半島・北東アジア情勢の潮目や国際政治の力学を変えたという事実は否定できない。文在寅大統領と金正恩委員長による南北首脳会談は、18年3月と4月に2回、それぞれ板門店(韓国戦争停戦のための軍事境界線)にて開催された。これは、2000年6月第1回目の南北首脳会談(金大中大統領と金正日総書記、平壌)と07年10月の第2回目(盧武鉉大統領と金正日総書記、平壌)に次ぐ、第3回目と第4回目の南北首脳会談となった。また、習近平国家主席と金正恩委員長による中朝首脳会談は、18年3月(北京)、5月(大連)、6月(北京)に3回開催された。さらには、


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