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2003/09/12

<随筆>◇女流慈善家 金万徳◇ 崔 碩義 氏

 済州島に行ったときに女流慈善家として知られる金万徳の墓を訪ねたことがある。私は以前、小説家の鄭飛石が書いた『名妓列伝』を読み、万徳という女性の波乱万丈な生き方と、女性の身で稼いだ巨万の富で、飢饉に苦しむ6万島民の生命を救ったという話に感銘を受けた。それ以来、機会があれば万徳の墓を訪ねてみたいと思っていたのである。

 タクシーの運転手は、瀛州十景の1つといわれる健入洞の沙羅峰公園の南側の斜面で私を下ろした。すぐ目の前に三基の白い塔が聳えていた。その中の一基が金万徳の記念塔で、高さはゆうに20㍍を越すだろう。その白い塔の記念碑のそばに「医女班首金万徳之墓」と刻まれた小さな石の墓があった。

 ところが「万徳記念館」の方は、あいにく休館日で、万徳の衣装などの遺物は参観できなかった。しかし、外壁に「万徳こそ永世不忘の恩人」、「善を積んだ人には、必ず余慶がある」と書かれている文言が強く私の脳裏に残った。

 金万徳女史(1739~1812年)は良家に生まれたが、幼い時に父母を失い、妓女の家で育てられた。万徳は少女のときから美しく聡明で、やがて妓籍に登録された。妓生のころは舞踊が上手で、愛郷心が強かったと伝えられる。23歳のとき役所に願い出て妓籍から離れ、もとの良家の身分を回復した。

 それからの万徳は降るようにあった求婚話を一切断り、その後、数十年間にわたって事業に熱中した。もともと彼女は理財の才に恵まれていたこともあり、海産物問屋、薬草の栽培などで巨万の富を得たのである。

 正祖19年(1795年)、済州島に飢饉があり、多くの島民の生命が危機にさらされた。王朝でも心配して救援米を送ろうとしたが、5隻の輸送船が相次いで沈没したために米が届かず餓死者が続出した。

 このとき万徳は、陸地に船を送り、金に糸目をつけずに米を買い入れ、迅速に島に運び、餓死寸前の多くの島民を救ったのである。国家がなしえなかったことを彼女はこれを独力で、しかも無償でしたのである。

 この報告を聞いた正祖は、万徳を都に呼び、その功績に報いるために「医女班首」という特別な官位を与えた上、金剛山を見物させた。当時、都の人々は巨額の私財をなげうって多くの島民の命を救った万徳を一目見ようと大騒ぎだったという。何しろ、済州島の女を見る機会が滅多になかった時代なのである。ときの宰相、蔡済恭までが女流慈善家金万徳の功績を讃えて『金万徳伝』をわざわざ書いた。この伝記によって万徳は歴史にその名を留めることになった。

 金万徳は今でも済州島では「万徳ばあさん」と慕われ、その名を知らぬ者はいない。数年前、MBCテレビが放映した歴史ドラマ「情火」は万徳を主人公にしたもので、済州島出身の女優、高斗心が主演し、好評を博した。


  チェ・ソギ  フリーライター。立命館大学文学部卒。朝鮮近代文学史専攻。慶尚南道出身。近著に『金笠詩選』(平凡社・東洋文庫)がある