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2005/12/16

<随筆>◇桜の木は何処に?◇ 韓国双日 大西 憲一 理事

 12月に入って急に寒くなった。ここ数日はマイナス10度近くまで冷え込んでおり、外を歩くと顔が痛いくらい。ただ、日本と違って湿度が低いのでカラッとして身の引き締まる寒さで、ジメーッとした北陸の雪国育ちの小生にはむしろ心地良い。

 この寒さの中、久しぶりに景福宮を訪れた。先日、高校時代の同級生からメールを貰ったからだ。今は遠い昔になるが、彼女とは年の離れたお姉さんが小学1年生の時の恩師だった事を想いだした。

 疎開先の田舎の小学校に入学したひ弱で臆病者の小生は、優しいT先生にほのかな憧れみたいなものを抱いていた。母子家庭で留守がちの母の代わりを求めていたのかも知れない。

 同級生のメールによると、T先生一家は戦前の一時期、お父さんが総督府に勤務されていたのでソウルに住んでおられたとの事。当時、総督府の裏に見事な桜の木があって、そこで毎年、家族が花見を楽しまれていたが、その桜の木はいまも顕在だろうか?できれば来年はお姉さんと花見に行きたいと結んであった。T先生はもうかなりのお年のはずだが今もお元気らしい。

 久しぶりの景福宮は、96年の光復節に撤去された旧総督府の建物の跡に興礼門が復元されるなど、もとの美しい王宮の佇まいが再現されていた。光化門の内側には守門将兵たちが当時の衣装に身を包んで微動だにせず、日帝から景福宮を守っていた。

 もちろん、観光用のパフォーマンスだが、景福宮はこれまで日本に散々痛めつけられている。秀吉軍は全てを焼き払い、再建後も正殿である勤政殿の正面を遮るように総督府を建築した。

 1895年にはここで当時の王妃が日本公使の陰謀で暗殺されている。日本人の末裔として先輩たちの暴挙に胸が痛む。敷地内の隅に「明成皇后遭難の地」の石碑が建てられているが、ここを訪れる日本人が少ないのは寂しい限りである。
 
 桜の木があったと思われるところは石畳が敷き詰めてあった。近くの案内所の係員に桜の木の居所を尋ねたが、「はっきり分からないが、桜の木は敷地内に点在しているので探して見たら」。寒風で砂埃を浴びながら広い敷地を歩き回ると、松の木や名も知らない大木が目に付いたが、すでにほとんどの木が落葉していることもあって桜の木はどれか定かでない。途中で松の木を手入れしているアジョシに聞いてみると民族博物館の近くにあると教えてくれたが、どうもピッタリ来ない。再度、案内所に問い合わせると「花見なら隣の昌徳宮がきれいですよ」。花見だけが目的ではないんだけどな。

 寒さに耐えかねて引き上げる途中に日本の同級生から電話が入った。彼女からの電話は卒業以来初めてで偶然にしてはタイミングがいい。「来年の4月にお姉さんとのソウル旅行を計画してみる」初恋(?)の人に会えるかも・・。その時はたとえ昔のような花見ができなくても、ようやくもとの姿に甦った景福宮を楽しみましょう。


  おおにし・けんいち 福井県生まれ。83-87年日商岩井釜山出張所長、94年韓国日商岩井代表理事、2000年7月から新・韓国日商岩井理事。昨年4月、韓国双日に社名変更。