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2006/02/10

<随筆>◇朝鮮童謡「冷や飯も飯かや」◇ 崔 碩義 氏

 正月休みにテレビなどをただ漫然と見て、時間を無為に過ごしたことをよく後悔したものだ。しかし、正月ぐらいは、そうあくせくせず、ぽかんと時間を過ごすのも決して悪いとはいえない。

 人生の考え方は人それぞれであるが、私はここ十数年、正月休みを利用して古典の一冊でも読むことを習慣にして来た。

 今年は岩波文庫の金素雲訳編『朝鮮民謡選』と『朝鮮童謡選』を読んだ。こうした本は何度読んでも読みごたえがあり、また、金素雲の名訳にも感心した。なかでも面白かった何篇かを次に紹介する。

◇乳房花

紅いチョゴリの
小襟の下に
花が咲いたよ
まろまろと
花は花でも
乳房の花は
さまのほかには
摘まされぬ。

◇梨

なんとしましょぞ
梨むいて出せば
梨は取らいで
手をにぎる。

◇人の妻

見ても食えぬは
描いた餅よ
焦がれて添えぬは
人の妻。

◇鳥よ 鳥よ

鳥よ 鳥よ 青鳥よ(パランセヤ)
緑豆(ノクト)の畑に 下り立つな
緑豆の花が ホロホロ散れば
青餔売り婆さん 泣いて行く。
*「鳥よ鳥よ」(セヤセヤ)というこの童謡は、緑豆将軍と謳われた東学農民軍の指導者全奉準を敬愛して歌ったもの。

◇冷や飯

明太(メンタイ)も 魚かや
継母(ままはは)も 母かや
三日月も 月かや
おきな草も 草かや
渓川(たにがわ)も 川かや
冷や飯も 飯かや。
*この「冷や飯」という作品は、暖かい飯ではなく、冷や飯を出されたときの痛烈な皮肉である。食べ物の恨みといえば、乞食詩人で有名な金サッカの「二十樹下」という詩を思い出す。この詩は『金笠詩選』(東洋文庫・平凡社)の冒頭にある。

二十樹下三十客/四十家中五十食/人間豈有七十事/不如帰家三十食/

欅(けやき)の木の下にいる哀れな旅人に/あのくたばりぞこないの家では饐(す)えた飯を出しやがった/人の世の中にこんな事があっていいのか/家に帰って炊きぞこないの飯でも食った方がましよ

 金笠の放浪詩では、冷や飯どころか、饐えた飯、炊きぞこないの飯までが登場する。飯の表現がじつに豊富なのが特徴。また、人通りの多い市場のような場所で奇抜な文句を連発して人を笑わせ、お金や食物をねだる旅芸人たちのカッソリタリヨン(却説打令)などもじつに面白い。


  チェ・ソギ 在日朝鮮人運動史研究会会員。慶尚南道出身。最近の著書に『黄色い蟹 崔碩義作品集』(新幹社刊)などがある。