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2007/06/15

<随筆>◇アンコパン◇ 韓国双日 大西 憲一 理事

 甘いものは嫌いじゃないが特にアンコに目がない。賄賂のアンコではなく食べるアンコ。日本では広島の「もみじ饅頭」が大好物だった。アンコ好きはどうも母親譲りのようだが、アンコ食べすぎの母は数十年来の糖尿持ちで、いつもインシュリンの注射器を持ち歩いている。私も気をつけねばと思いながらアンコを見るとどうにも止まらない。

 韓国にも私を惹きつけるアンコ菓子が多いので困る(?)。鯛焼きそっくりの「プンオパン(フナ焼き)」に慶州地方の名物「キョンジュパン」は「もみじ饅頭」に負けない老舗の味を誇る。高速道路脇の休憩所で売っている「ホドゥクァジャ(クルミ入りアンコ饅頭)」は見逃せない。出来立てほやほやのアツアツをほお張ると旅の疲れが吹っ飛ぶ。一口サイズなので何個でも食べられる。アンパンは当地では「アンコパン」で通じるが、日本よりアンコが一杯入っていて食べ応えがある。

 アンパンで思い出すのは、かなり以前の本社時代、釜山での国際会議に出席する日本側代表団のA団長のカバン持ちを命じられた時のことだ。今は亡きA団長は当時、業界では実力者で通っていたが、アンパン、ウドン、トマトジュースが大好物で海外出張時は秘書役の必須携行品、周りでは密かに「三種の神器」と呼んでいた。

 ただ韓国ではこの神器を何とか現地調達できるので、掟を破ってあえて準備しないで同行したが、この伝説が本当なのか確かめたい気持ちもいくぶんあった。初日の会議が終わったあと、ホテルのパーティ会場には当然ながら「三種の神器」は見当たらなかったが、団長はご機嫌で何でも食べておられた。「なーんだ。周りが気を使いすぎるだけか」。パーティが終わったあと、ロビーの売店の前で団長は足を止めた。「オッ、うまそうなアンパンがあるな。買ってくれんか」。やっぱりアンパン好きは本物でした。

 A団長にはほろ苦い思い出もある。金沢での国際会議に同行した時だが、下っ端の私だけ団長の不要な荷物を預かって先に戻ることになり、週末なので隣接する福井県の実家に立ち寄って1泊した。久しぶりにお袋の味を堪能した翌朝、母の言葉で青ざめた。「持ってきたワイシャツ洗ったら袖口がボロボロに破れてもたよ」「エー?洗ったんけの?」団長から預かった大事なシャツだ。なぜ破れたのか分からないが、これはエライコトだ。クビかもしれない。ただならぬ気配を察した母もオロオロしている。

 しかし母に責任はない。こうなったら代替品を用意するしかないが、モノはイタリア製の高級品。やむなく東京に戻ってから百貨店で同じ銘柄の仕立券付きを購入した。高かったー。翌日、団長に事情を説明しながら恐る恐る差し出すと、「それは受け取れんよ。あれはもう寿命だから捨てるつもりだったんだ」「ガクーッ」。


  おおにし・けんいち 福井県生まれ。83-87年日商岩井釜山出張所長、94年韓国日商岩井代表理事、2000年7月から新・韓国日商岩井理事。04年4月、韓国双日に社名変更。