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2008/05/23

<随筆>◇今年の花見◇ 崔 碩義 氏

 毎年、3月中旬になると、決まったように近くの公園の木蓮が、可憐な白い蕾を膨らませたかと思うと、まもなく弾けるように咲く。私は、春の先駆けであり、しかも初恋の清楚さを思わせるこの白木蓮の花がとても好きだ。木蓮の花の開花に続いて、いよいよ桜の季節が到来するのである。

 いうまでもなく日本では、花見といえば桜の花を見ることを意味し、年に一度、人たちは桜の美しさを堪能し、日ごろの憂さを晴らすのを習慣にして来た。ところで無骨な私でもときどき「桜の花は何故かくも美しく、また散るのを急ぐのか」といった自然の神秘について思いを馳せることがある。その昔、吉野の桜の素晴らしさに魅せられた西行が、願はくは、満開の桜の下で死にたいと詠ったが、そうした風流も理解できなくもない。

 今年の桜の開花は例年よりも一週間も早かったが、4月1日、早速、友人たちと語らって上野公園で花見をした。花見客の多さに辟易したが、これも又良し。私も久しぶりに顔を赤く染め、饒舌に振舞った。

 数日後、私は個人的な用件が生じて韓国旅行に出かけたが、桜前線が東京地方と同じということもあって、そこでも満開の桜を観る幸運に恵まれたのである。慶尚道、全羅道の国道をバスで走ると桜の花が意外に多いのに目を見張った。最近、韓国でもポッコッ(桜)の人気が急上昇していることを実感する。それに、新緑の山あいが点々と桜色に染まっている風景が何とも佳景であった。

 河東(ハドン)から蟾津江(ソムジンガン)沿いに求礼(クレ)に出たとき、折しも求礼郡主催の「山茱萸(サンユス)の花の祝祭」が開かれていて、私はここで山茱萸(落葉中木)の珍しい群落を初めて目にすることができたのである。樹木一面に小さな花を無数に付けた黄色い花の鮮やかさは格別であった。聞く所によればこの花の別名を「春黄金花」と呼ぶという。垣根に乱れ咲く黄色いケナリの花もそれなりに美しいが、山茱萸の花の美しさはまさにそれ以上だ(私ときたら近年、何故か黄色い花の魅力にすっかり嵌ってしまったようだ)。また、秋になれば山茱萸は、楕円形で小粒の赤い実を付ける。即ちぐみである。幼い頃、このぐみの実を口に入れると甘酸っぱい味がしたことを微かに思い出す。

 私はその後、海南邑(ヘナムウプ)にある「緑雨堂」に寄って「尹斗緒自画像」(国宝第240号)を見学した後、珍島(チンド)の名園「雲林山房」を駆け足で訪ねた。この雲林山房に秋史金正喜の高弟で画家の小痴(ソチ)、許維(ホユ)の記念館がある。最近、韓国映画「スキャンダル」のロケがここで行われたとのこと。私はこの雲林山房の庭園を行きながら、忽ち牡丹の花畑に目を奪われた。咲き誇る大輪の牡丹(百花王)の花を鑑賞しながら、しばらく至福のひとときを過ごしたといっても、それは決して言い過ぎではないだろう。

 今年の春、私はこのように白木蓮にはじまり、桜、山茱萸、牡丹の花を各地で楽しんだのである。


  チェ・ソギ 作家。在日朝鮮人運動史研究会会員。慶尚南道出身。最近の著書に『韓国歴史紀行』(影書房)などがある。