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2009/03/13

<随筆>◇孤独死した信貴辰喜先生のこと◇ 崔 碩義 氏

 長年の友で同じ年の信貴(しき)さんが、昨年突然亡くなられた。彼とは「壬辰倭乱(イムジンウェラン)研究会」(1992年から7年間続いた)で初めて出会ったが、その頃の経緯について私は、自分の日記に次のように記している。

 「一月某日、東大駒場で開かれた壬辰倭乱研究会に参加。そのあと信貴辰喜(たつよし)氏といつものように渋谷の喫茶店で駄弁(だべ)る。話は中国の長江ダム建設反対に始まり、人類文明の将来にまで及ぶ。人間は我々が思っているほど賢明な生き物ではなく、人類の傲慢は何時の日か罰せられるだろうに至るまで意見が合い意気投合。俄然、この男が好きになった。かつてベ平連にも参加していたらしい。因(ちな)みに彼は一生独身で、家にはテレビはもちろん電話も置かない主義というから相当変わっている。普段は寡黙、謹厳実直の感あり。長身にしてとてもダンディー」

 一生結婚しないというのも異常だが、他人の人生を一々詮索することもなかろう。それよりも自宅に電話がないのには大いに閉口した。私は長い間、信貴さんが一高出身の元東大教養学部教授でドイツ文学者であることを迂闊(うかつ)にも知らなかった。その後も私たちの交友は一向に途切れることなく続く。彼はNHKのハングル講座で勉強しているとかで、会えば必ず「アンニョンハシムニカ お元気ですか」と声を掛けてきたその面影が今でも印象的である。確か去年の初め頃だったかと思うが、共通の友人である漫画家の久松文雄さんと一緒に、渋谷区松涛にある彼の自宅を訪ねたが、しばらく会わない間に全身の衰えが目立ち、痛々しく感じられた。結局、これが私たちの最後の別れになった。

 それから間もない去年の夏。信貴さんの甥であるという渡辺正昭氏から突然、「信貴辰喜儀、この四月に急性心不全のため八十歳をもちまして永眠しました。葬儀は家族だけで執り行い、墓は港区芝公園の浄運(じょううん)寺にあります。」と書かれた一通の葉書を受け取った。ことが余りにも急で、また内容の重さに衝撃を受けた私は、せめて死亡時の状況でも知りたいと願い、渡辺氏に思い切って手紙を出し、次のような返事(要約)を得た。

 「四月二十九日の夜、叔父信貴辰喜の住んでいるマンションの下の階の住人から、渋谷消防署に異臭がするという通報があって、消防署で調べたところ部屋から遺体を発見。私にも警察から連絡があり身元確認のため出向き、そこで叔父の変わり果てた遺体と対面した。すでに死後二週間前後が経過しており、身体損傷(腐敗)がかなり進んでいた。布団に横になった状態で、苦しんだ形跡はさほどでもなく静かに旅立ったようでした。翌日の司法解剖の結果、死因は「急性虚血性心不全」」で、死亡日は四月十二日前後(推定)と判明しました。なお、部屋に残されたかなりの数の蔵書につきましては、東大教養学部図書館に引き取ってもらいました」

 信貴先生! どうか安らかに眠られよ。さようなら。


  チェ・ソギ 作家。在日朝鮮人運動史研究会会員。慶尚南道出身。最近の著書に『韓国歴史紀行』(影書房)などがある。