ここから本文です

2009/08/14

<随筆>◇敗戦と敗北◇ 広島大学 崔 吉城 名誉教授

 日本にとって8月には負の記念日が続く。6日は広島の原爆、9日は長崎の原爆、15日は敗戦の記念日である。私が広島に住んでいた時にはほぼ毎日のように聞いた言葉が「原爆」「被爆」「被曝」であった。私も故渡辺正治氏とシンポジウムを開催して池明観氏に基調講演をしていただき、報告書も出したことがある。また広島大学の総合科目の共同講義では「韓国から見た原爆」という題で講義したこともある。日本では被爆・原水禁、天皇制などには平和主義、保守主義が強く、口を挟むべきではない「空気」というか、タブーがあり発言しにくいトピックである。

 大量虐殺の原爆を投下したアメリカや被爆した日本が今、北朝鮮の核問題に直面し、それぞれ思いは違うであろうが足並みを揃えている。日本は原爆を考える時、19世紀末から台湾、樺太、朝鮮、満州などを植民地化し、太平洋戦争を起こして、被爆・敗戦したことを思い出さなければならない。つまり挑戦=敗戦を前提にしたことをもって完全に「敗北」を認識すべきであろう。しかしまだ多くの日本人は敗戦したことを忘却はしても敗北の認識はしていない。敗戦して引き揚げる日本人が残した「よし、またこんど」という日本人のことばが怖いと韓国の親たちは言っていた。つまり日本人は敗戦しても敗北を認めていないと考えたのだ。8月6日から敗戦の15日までの9日間は日本を生まれ変える時期でもあった。社会学の用語ではアノミーというか、大混乱、パニックな状況であった。このような状況で天皇は敗戦を宣言した。敗戦は悲惨なことではあるが社会を根本的に変えることもある。なぜなら戦争から「敗北精神」という貴重なメッセージを受け取ることができるからである。

 一方、台湾、韓半島は8月15日に日本の植民地から解放された。韓国はこの日を「光復節」という。戦前の独立運動の「光復軍」もいたのでそれに因んだようである。それは植民地時代が暗黒期であったことと対照的である。北朝鮮では「解放記念日」としている。台湾は10月25日を日本の統治が終了した「台湾光復節」としている。中国は9月3日を「抗日戦争勝利紀念日」としている。

 私は8月15日を解放記念日であり、同時にもう一つの暗黒の始まりとして重く受け止めるべきであると思う。多くの被植民地のアジア・アフリカの国々は解放されてから民族紛争を起こして、今も続けている。それは植民地に侮辱され苦労したという言い分のなり立たないことであり、心を痛めている。私は二十歳ころ、エーリッヒ・フロムの『自由からの逃走』で自由を営む力のない社会には自由を与えても混乱し、独裁へ戻るという内容を読んでショックを受けた。戦後指導者たちが南北の民族分断を固め、朝鮮戦争、独裁軍事政権への暗黒の道を辿ることへの批判として受け止めたからである。韓国は反独裁民主化によって独立したものであり、解放によって独立したとは思えない。


  チェ・ギルソン 1940年韓国・京畿道楊州生まれ。ソウル大学校卒、筑波大学文学博士(社会人類学)。陸軍士官学校教官、文化広報部文化財常勤専門委員、慶南大学校講師、啓明大学校教授、中部大学教授、広島大学教授を経て現在は東亜大学教授・広島大学名誉教授。