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2009/09/04

<随筆>◇料亭文化の今◇ 産経新聞 黒田勝弘 ソウル支局長

 先ごろ金大中・元大統領が亡くなられた際に思い出したことがある。日本では彼は何といっても「金大中拉致事件」で有名である。事件は一九七三年に起きたが、当時、その行方を捜査していた日本の警察当局で「金大中先生」のことを、「金沢大学の中先生」と誤解したというエピソードがある。石川県の金沢大学は地元では「金大」と呼ばれていたため、石川県警はじめ北陸方面の警察ではそう思い込んでいたというわけだ。

 金大中氏も事件が起きるまでは日本ではその程度の知名度だった。それが事件のおかげで一躍、超有名人になったのだが、その一九七〇年代からしばらくの間、日本における韓国のイメージは“3Kイメージ”といわれた。キーセン、金大中、KCIAの3Kである。つまり日本人にとって韓国とは「キーセン観光と金大中事件の国」というわけだ。いかにも品がよくない。日本ではマスコミをはじめこのイメージで“韓国叩き”が盛んで、韓国はえらく苦労した。3K以外の多様な韓国を知っていたぼくなど、韓国イメージの改善、多様化にずいぶん努力したものだ。ぼくの韓国への本格的な取り組みは 金大中事件がきっかけだったといっていい。

 同じKでも、韓国イメージに“キムチ”が入ってくるのは一九八八年のソウル・オリンピックあたりからだ。象徴的にいえば、韓国が先の“3Kイメージ”を脱するのはソウル五輪以降である。ソウル五輪をきっかけに日本では第一次韓国ブームが起き、イメージはかなりプラスに転じた。その後、九〇年代以降になって新たなK―つまり“韓流”によって韓国イメージはさらによくなった。ところで旧3Kイメージのうち“キーセン”はどうなったのか。これまた近年、日本人の韓国旅行が多様化し、女性客が急増するにつれていわゆる“キーセン観光”のイメージは大幅に後退した。最近の観光客のなかには「キーセンて何?」という者もいる。

 その結果、いわゆる“キーセン料亭”は激減し数えるほどしかなくなってしまった。つまり、はやらなくなったのだ。そのキーセン料亭に過日、久しぶりに出かけた。知り合いの日本人が「中国のビジネスマンを接待するので付き合ってくれ」いうのである。
中国人客の接待でキーセン料亭へ、というのが面白い。いかにも時代を反映しているではないか。料亭の主人には「これからは中国人客の時代だよ」と教えてあげた。

 チマ・チョゴリ姿の女性が横にすわり、伝統的な歌舞音曲をお座敷で楽しめるキーセン料亭は外国人にはエキゾチックだ。羽振りのよい中国人にはそのお値段も苦にならないだろう。ただ現状についてひと言文句をいえば肝心の料理がよくない。フュージョン的なおつまみ風ばかりで、昔のような「お膳の足が折れる」ほどの韓国料理の醍醐味が全くない。「料亭」はどこにいったのでしょう。韓国の料理文化のために、実にさびしい。


  くろだ・かつひろ 1941年大阪生まれ。京都大学経済学部卒。共同通信記者を経て、現在、産経新聞ソウル支局長。