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2009/12/11

<随筆>◇韓国人の祖先崇拝◇ 広島大学 崔 吉城 名誉教授

 日本では韓国と言うと儒教の国であると思う人が多い。その儒教文化を代表するものが祖先崇拝と族譜である。在日韓国人の中には法事(祭祀)を行い、族譜を飾る人も多い。そして儒教を信じるヤンバン(両班)意識を高めている。その根底には死者を尊敬する本意があるが、その意味を深く考える人は多くはないようである。私は今から20余年前にその意味を問い、『韓国の祖先崇拝』を韓国で出版し、重松真由美氏による日本語訳も出ている。

 祖先とは死者である。その死者を崇拝し、祭ることが合理的な考え方の若者には通じにくいところがある。死者は物体に過ぎないから恐れることなく切断する者さえ出ている。脳死移植なども行われるようになった。科学的には不思議ではないかも知れない。しかし人間の尊厳が失われることを認めざるを得ない。

 祖先崇拝のもっとも重要な意味は親孝行の「孝道」にある。それは儒教の核心でもあり、キリスト教とは対立する部分がある。しかし、『聖書』の「十戒」にも「親を敬え」とある。親を敬うことを重要視するのは共通している。しかし死者を崇拝し、信仰としている祖先崇拝は日本や中国およびアフリカで盛んであるが、その分布は非常に狭い。西アフリカの農耕民タレンシの祖先崇拝は、子供が親を敬い、親の望みをかなえ、年老いた親の世話を行うべきであるという。その祖先崇拝は親子関係を宗教的に投影したものである。

 儒教の「孝道」の核は「孝」であり、それは親への「愛」である。それは父母の子供への愛の「慈悲心」に対して子供から親への恩である。しかし儒教の「孝道」には否定的なイメージがあり、私は儒教社会の中で育ちながら形式化された礼儀主義には反感をもっていた時を思い出す。祖先崇拝を行うことによって家族や親族意識が高まり、社会関係にまで拡大され、公平な能率性のある社会への発展の妨げの一因になる。また父系制によって父子、祖孫関係から男性中心社会を強調する傾向が強い。そして同族や門中の面子とか両班意識が社会問題になることもある。したがって儒教発生の国の中国でも清末と文化革命の時に批判を受けたのである。しかしこれらの否定的な面だけであればなぜ二千年以上も続いているのであろうか。

 韓国では一度も儒教を排撃したことがない。「忠孝」は永遠不変な価値観念のように持ち続けている。その根本には親への「恩」という価値観念が存在するからである。それは単純な恩恵というより追想的な絶対的な愛の塊のようなものであろう。それに相応するものとして子供の愛が「孝道」として義務つけられている。祖先の恩は絶対的なものであり、また子の親への愛も永遠的無限大のものとして要求される。私は「孝道」の核にある「孝心」、さらに奥にある「愛」を大事に見ている。戦前日本帝国主義は天皇に対する恩と忠誠を乱用し、この重要な愛の倫理をなくした。今、日本でも考え直さなければならない。


  チェ・ギルソン 1940年韓国・京畿道楊州生まれ。ソウル大学校卒、筑波大学文学博士(社会人類学)。陸軍士官学校教官、文化広報部文化財常勤専門委員、慶南大学校講師、啓明大学校教授、中部大学教授、広島大学教授を経て現在は東亜大学教授・広島大学名誉教授。