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2010/01/15

<随筆>◇「旧正月」「我がソル」◇ 広島大学 崔 吉城 名誉教授

 壁に貼られている2010年のカレンダーを無心に見ているうちに、韓日両国の祝日、記念日などの相違点に気が付く。特に韓国の国慶日や名節、日本の祝日と記念日が、ナショナリズムで色づけされていることが目立つ。日韓においては陽暦と陰暦の違いが著しい。

 韓国は陽暦の1月1日はカレンダー上の元旦とし、陰暦の1月1日を名節の元旦として祝う。中国文化圏では陰暦によって正月を祝う。来たる2月14日が陰暦の元旦である。

 韓国では帰省人波が2000万人に及ぶ民族の大移動となる。古くは日本でも陰暦の正月であったが、現在、陽暦の1月1日を正月として祝う。

 韓国では陽暦の1月1日を「新正(シンジョン)」、陰暦の1月1日を「旧正(クジョン)」という。一般的に「新正(シンジョン)」は日本植民政府が導入した日本の正月として「倭ソル」といい、旧正を「朝鮮ソル」「我が正月」といいながら守り続けた。

 しかしそれは誤解である。大韓帝国が1896年に近代化政策の改革のために太陽暦を採用し、旧習から脱皮しようとして断髪令などとともに出された改革政策の一つであったのである。それが植民地期を通して強化され、戦後も長く続いていたものである。国民は太陽暦を施行しても忌日、誕生日などはすべて陰暦をそのまま踏襲した。結局新旧暦を混用するようになり、陽暦の1月1日へ旧ソルを入れ替えることは難しかった。

 戦後韓国は旧正が旧来の因習に過ぎないと、新正を守る政策に一貫してきた。しかし国民の中には新正は日本、西洋を象徴するものだといい、「倭ソル」に反感をもった。旧正を守る民衆、新正を守る公務員、知識人などに二分され、また両方とも祝う二重過歳型もあり社会的に問題とされた。公務員は旧正で行われる祭祀に参加できず、公務員が多い家では祖先祭祀を新正に行う傾向もあった。

 しかし1986年の旧正を「民俗の日」とし、88年にはソル(正月)として復帰させた。つまり民衆が守ってきた民俗を公的に認めて公休日にし、旧正中心の「二重過歳」を制度化した。ここで韓国百年余の新正の文化を否定し、反日ナショナリズムの伝統によって旧正へ戻した。つまり中国、台湾、韓国、ベトナム、モンゴルなどの中国文化圏に戻ったのである。

 新正は戦後3日間の休日だったが、90年に2日間、99年から1日のみの休日になった。一方、旧正月は89年から3日間連休になった。また秋夕が86年から2日間連休、89年からは3日間連休になり陰暦が優先されるようになった。

 日本と北朝鮮でも、国民がただの休日、連休としか認識しないものも多いだろう。それは国民が無関心だからと思われるかもしれないが、実は民衆が国家のナショナリズムをそのまま呑み込まない賢明さと言わざるを得ない。


  チェ・ギルソン 1940年韓国・京畿道楊州生まれ。ソウル大学校卒、筑波大学文学博士(社会人類学)。陸軍士官学校教官、文化広報部文化財常勤専門委員、慶南大学校講師、啓明大学校教授、中部大学教授、広島大学教授を経て現在は東亜大学教授・広島大学名誉教授。