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2010/03/12

<随筆>◇私とキリスト教◇ 広島大学 崔 吉城 名誉教授

 日本人は韓国旅行中に至る所にキリスト教会の十字架が目立つという人が多い。韓国では3割近くがクリスチャンになっており、戦後世界で最もキリスト教化が盛況な国であるといえる。いまそのキリスト教の勢いが日本に浸透し、韓国から多くの伝道者が日本で活躍している。伝統的には儒教、仏教などにおいては日・韓がそれほど異なっておらず、通じあうところがあったが、キリスト教に関しては日韓が極端に相反する。これは歴史的に未曽有の事実である。

 キリスト教は普遍的な世界宗教であるが地域によっては民族中心に土着化されている。韓国のキリスト教はシャーマニズムと混合している。つまりキリスト教の聖霊運動はシャーマニズムのトランス(憑霊)やエクスタシー(脱魂)の要素が含まれているのが常である。キリスト教会にはシャーマニズムとキリスト教が共存あるいは混在するようであり、日本人には新宗教のように感じるかも知れない。私はシャーマニズムを迷信と思い、キリスト教へ改宗したが再び教会の中でシャーマニズムを見るような感がある。私がシャーマニズムを研究しながらクリスチャンであるということに矛盾を感じることもあろうが、それは私だけのことではない。多くのクリスチャンはシャーマニズムを迷信だと思いながらその中にシャーマニズムが埋没されている事に気がつかない。私にとって母が篤信していたムーダン(シャーマン)の儀礼などは幼いころから馴染深いものであった。

 中学時代に朝鮮戦争で毀れた瓦礫の傍でキリスト教会伝道集会があり参加したことがあるが、西洋の宣教師の説教と韓国人牧師の外人風の通訳で行っていた。説教が終わって目を閉じて祈りながら信者になりたい人は手を上げなさいと言われた。私は手を上げなかった。同行の友だちの2、3人は手を挙げてしまい演壇の下まで引っ張られて行くのが可笑しかった。しかしその中の一人はクリスチャンとしてアメリカで医師をしている。私はそれ以降教会へは足を踏み入れることはしなかった。当時礼拝に参加するためには靴を脱いで礼拝堂に入るので他人の新しい靴と履き替えてくるために行くとか恋人を探しに教会へ行くのだという変な噂があった。

 私は大学生になり結核に罹って末期と診断され落郷して孤独になって失望していたある夜、伝道師が突然訪ねてきた。その伝道師の祈りによって私は希望を持つようになり田舎の藁ぶき屋根の教会へ出席するようになった。1960年のクリスマスにソウルの永楽教会で韓景職牧師から洗礼を受けた。今も私は本当のクリスチャンになることは難しいと思っている。人生観など自分との戦いであり、社会での愛の実現、時には行き止まり、狭い坂道を歩くように感じることもある。また私の中にシャーマニズムとキリスト教が混じりあってはいまいか、葛藤がまだまだ終わっていない。


  チェ・ギルソン 1940年韓国・京畿道楊州生まれ。ソウル大学校卒、筑波大学文学博士(社会人類学)。陸軍士官学校教官、文化広報部文化財常勤専門委員、慶南大学校講師、啓明大学校教授、中部大学教授、広島大学教授を経て現在は東亜大学教授・広島大学名誉教授。