ここから本文です

2011/10/07

<随筆>◇カレーライスも苦労しました◇ 産経新聞 黒田勝弘 ソウル支局長

 一九八〇年代の初めだったか、大阪出身の在日韓国人がソウルの梨花女子大前でカレー店をオープンした。韓国のカレーはまずく、専門店などなかった時代だ。「本格的なうまいカレーライスを韓国人に食べさせたい」との“母国への思い”からだった。

 カレーのルーは日本から持ち込み、食器も日本製のものを使い、当時では珍しいしゃれたレストラン風の雰囲気の店だった。当然、値段もそれなりにした。

 激励の意味もあってよく通ったのだが、結局は長続きせず店じまいとなった。理由は当然、赤字。その赤字の理由が面白かった。まず従業員が食器洗いの際、皿をよく割ることだった。高級な日本製食器なのでこれでは割りに合わない。なぜよく割るかというと、今でもそうだが、韓国では金属製やプラスチックの食器が一般的なため、洗い場ではよくぶん投げている。乱暴な扱いが習慣的になっているため、高級な瀬戸物の皿をつい割ってしまうのだ。

 それから追加はタダという韓国の習慣。カレーの場合、ルーとご飯が出るが、客はご飯が余るとルーをもっとくれというし、ルーが余るとご飯をもっと出せという。ルーなど日本からの持ち込みだから、これも割りに合わない。

 まあ結局、カレーはまだちゃんとしたレストランメニューとしては存在しなかった時代だったため、奮闘むなしく撤退となった。

 当時、韓国におけるカレーの存在とは、若い男たちが軍隊で嫌というほど食わされたまずい部隊食イメージだった。それもメリケン粉たっぷりの、スパイスの利かない粉っぽいカレーだ。こんなものをシャバに出た後、金まで出して食べようとは思わない。

 ただ、新婚家庭で新婦が、雑誌の料理ガイドを見ながら作る料理にカレーライスがあって、新婚家庭ではよく出た。すると新郎は「こんな軍隊メシみたいなもの食えん!」と夫婦ゲンカになったという話も聞いた。そんな時代から三十年。韓国でも今やカレーが一般化し、専門店も増えている。

 筆者の事務所の前には味のいいトンカツ屋があって、そこにもカレーメニューがある。筆者はトンカツよりもっぱらカレーを食べているのだが、周りの客を見ても結構、カレーを食べている。専門店では最近、日本のチェーン店「CoCo壱番屋」など人気で、いい値段なのによく客が入っている。韓国カレー史としては隔世の感である。

 ところでカレーが軍隊メシとしてスタートしたのは日本も同じだ。日本には今でも「海軍カレー」という銘柄があるが、明治時代に日本海軍が“カレーライス”を艦内食として開発したのが始まりという。栄養満点、しかも皿一枚で簡単だからだ。

 この歴史を含め、韓国のカレーは日本風カレーとして普及した。韓国風カレーはいつ登場するのだろうか、鋭意ウオッチング中だ。


  くろだ・かつひろ 1941年大阪生まれ。京都大学経済学部卒。共同通信記者を経て、現在、産経新聞ソウル支局長。