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2014/09/26

<随筆>◇ある在日韓国人牧師の生涯◇ 海龍 朴 仙容 相談役

 先月、恩師である崔昌華牧師の評伝が上梓された。年配の在日コリアンなら誰もが知る人物である。私は中学時代、日曜学校(大韓基督教小倉教会)で崔先生の教えを受けた。「私の名はチォエ チャンホア、サイ ショウカじゃない」と1975年、NHKを提訴した「人格権訴訟(一円訴訟)」は名前の民族音読みを求めたものだった。没後20年経ち、岩波書店から「行動する預言者・崔昌華」が出版された。著者は田中伸尚氏(ノンフィクション作家)。身近な人の評伝、付き合いの購入だったが、本を開いて驚いた。面白い、夢中で読んだ。先生の半生が事細かに綴られている。

 1968年、金銭トラブルでヤクザ二人をライフル銃で射殺、その後、寸又峡(静岡)の旅館に人質をとって立て籠り、過去に受けた警察の朝鮮人差別を抗議、その謝罪を求めた「金嬉老事件」が発生した。事件を知った先生はその旅館に乗り込み、身体にダイナマイトを巻いて武装する犯人の説得活動をしている。評伝はその時の経緯を詳しく解説。その決死の説得は先生の思うような解決には至らなかったものの、犯人・金嬉老に大きな影響を与えた。

 その後、先生の韓国・朝鮮人の人権獲得運動は多様になる。先生が起した数々の問題提起は日本社会を変化させた。その先見性は卓越していた。当時、私は民団青年会(支部)の幹部だった。先生の言動は同化に繋がると反発、そのスタンドプレーは同胞社会を混乱させると抗議した。先生は黙って聞いてくれた。私は組織の先輩達に同調、活動の中身を吟味せずに文句を言っていた。私の抗議を先生は哀しい思いで聞いていたことだろう。評伝を読むにつれ、己の愚かさが恥ずかしくなる。

 先生が関わった事件と一連の人権獲得運動は知っていたが、それは上辺だけのことだった。その時々の先生の心情(内面)までは思い及ばなかった。評伝は先生の内面をちゃんと捉え、著者の鋭い視点でまとめている。それで重厚な本になっている。在日外国人に対する指紋押捺制度の撤廃を求めた運動は家族を巻き込んだ。家族に対するヘイトスピーチは凄まじかった。不安の中で過ごした家族達の苦悩は容易に想像できる。嫌がらせの中身には触れないが、「殺すぞ!」との脅迫には、緊張で眠れない日が続いたという。先生はそれに挫けることなく、活動を続けて偉大な足跡を残した。評伝は在日の人権獲得運動史だ。貴重な資料で読み応えのある書物になっている。

 外国人登録の更新時、指紋押捺を拒み、国に告訴された先生の長女、崔善愛さんの意見陳述(高裁)が興味深い。「なるほど」と、思わず唸った。「法を無視できないから拒否をしました」。この言葉の意味は深い。彼女の順法精神を語っている。「法」を大切に思うから、それを犯した。そしてそれは、崔昌華牧師の崇高な精神でもあった。


  パク・ソンヨン 1947年、福岡県北九州市生まれ。在日2世。拓殖大学卒業。2000年、韓国食品普及処「㈱海龍」創業。現在、海龍相談役。著書「親韓親日派宣言(亜紀書房)」。