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2021/08/27

<随筆>◇三世代通史の「在日物語」◇ 海龍 朴 仙容 相談役

 家族史(在日百年)をつづっていると、鮮明になるのが在日1世の民族的な誇りとたくましい気骨だ。僕のアボジ(父)は16歳で渡日し、43年間の在日生活で、その生涯を閉じた。還暦直前の死だった。物心両面で父の遺したものは多い。数年後、オモニ(母)も父を追うように逝った。

 父母の足跡を顧みる。母は夫に連れ添い、控えめに生きた印象が強いが、結婚当初は「朝鮮あめ」を製造販売していた苦労話は聞いている。僕が物心ついた頃は、家業の古鉄商が順調で、生活にゆとりがあって、母が額に汗していた記憶はない。父母は敬虔なキリスト教徒だった。父は在日大韓基督教の長老、母は執事、二人は熱心に教会活動をしていた。

 父の履歴をたどる。戦後、帰国準備事業として、在日の子弟に対する母国語教育が行われた。父はそのために開校された朝鮮学校(北九州)の校長をしている。48年、在日大韓民国居留民団福岡県本部が創団された。その時の副団長にも就いている。その後、在日の金融機関として発足した平和信用組合(福岡商銀・九州興銀の前身)の副理事長で経営を統括。在日同胞の活動に多くの足跡を残した。

 同胞の事業活動から退き、貸間業を生業にし、趣味生活の詩吟に没頭、九州詩吟学院を開校し、師範を務めた。吟道に励むかたわら、漢詩の詩人を目指してもいた。多くの在日同胞と同様、過酷な環境下を生き抜いた、父の気骨は、僕ら兄弟の胸に「在日魂」として刻まれている。身体を酷使した無理がたたり、父は還暦を前に逝った。父の生き様をたどると、在日1世の壮絶な闘いの跡が次々と浮かびあがる。

 基督教信者の父は、晩年穏やかな生活をしていたが、それ以前は気性の激しい、闘争的な人間だったらしい。入信後、人が変わった。宗教が父の魂を救ったと言う。父は不幸な時代に生まれた。平時なら教員が似合い、教師が天職だったであろう。極貧農家に生まれ、選択余地のない道を強いられている。

 父は夢を子に託した節がある。男3人女3人、6人の子を残したが、誰一人、父の意に沿う生き方をしなかった。無念な思いで世を去ったことだろう。母の愛情もよく覚えている。竹のむちでふくらはぎを叩かれた痛い記憶と共に、僕らは、母の深い愛情で守られていた。母の愛と父の無念が心に刻まれている。

 母は3世の僕の長男を溺愛。父の死後、30日経って生まれた子だ。父の生まれ変わりと思ったのだろう。

 僕も老い、人生の終焉を迎え、父が後進に託した「思い」が胸を揺さぶる。1世の体験を埋没させてはならない。1世の無念を2世がつなぎ、3世を羽ばたかせる。


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