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2011/11/04

<Korea Watch>切手に描かれたソウル 第16回 「国立国楽院」                                                 郵便学者 内藤 陽介 氏

  • 郵便学者 内藤 陽介 氏

    ないとう・ようすけ 1967年東京生まれ。東京大学文学部卒業。日本文芸家協会会員、フジインターナショナルミント株式会社・顧問。切手等の郵便資料から国家や地域のあり方を読み解く「郵便学」を研究。

  • 切手に描かれたソウル 第16回 「国立国楽院」

                 国立国楽院40周年記念切手

◆李大統領令で50年4月発足・伝統音楽の継承・発展を◆

 10月9日、青瓦台は、李明博大統領が再来年(2013年)2月に退任した後の私邸について、不動産価格の上昇や警護施設用地が不十分などの理由から、就任前の江南区論峴洞の現在の自宅ではなく、瑞草区内谷洞に敷地を新しく購入し、新築する計画を発表した。

 しかし、内谷洞の敷地は李大統領の長男、始炯氏が約12億ウォンで購入していたものを、大統領室が43億ウォンで購入した(韓国の法律では、大統領の退任後10年間、大統領の私邸ならびに隣接する警護施設用の敷地は国による警護の対象となり、必要施設は国が用意することになっている)ことや、そもそも、始炯氏による土地購入資金も大統領室が立て替え払いしていた疑惑が浮上。

 このため、大統領は、新私邸への入居計画を白紙にし、退任後は論峴洞の自宅に戻ることを決めたという。

 現在の大統領の私邸がある論峴洞は住宅密集地域で道路が狭く、私邸周辺にも3~4階建ての建物があるなど、警備には不向きの土地だった。

 このため、青瓦台は、大統領個人の希望も踏まえ、昨年末から、30~40億ウォンの予算で、田園や山林などがある660平方㍍程度の一戸建ての敷地として、瑞草区内谷洞や江南区細谷洞、水西などの土地を探し、最終的に、瑞草区で地価が最も安い内谷洞の土地を購入することに決めたのだという。

 問題となった江南区、瑞草区は、もともとは漢江南側の農村で、1963年にソウル市の市域拡大によって京畿道広州市からソウル市に編入され、1970年代以降開発がすすめられた地域だ。現在の瑞草区は1988年に江南区から分区され、富裕層の住む高級住宅街となっているほか、大法院(最高裁判所)などの公共施設、国立中央図書館、国立国楽院といった文化施設、サムソン本社などがあることでも知られている。

 瑞草区内は、良才川や牛眠山などの自然に恵まれ、清渓山自然公園や良山市民の森など5カ所の都市自然公園はソウル市民の憩いの場になっている。たしかに、田園や山林のある地域という条件にはぴったりだ。

 その一方で、今年7月26、27日の集中豪雨では、良才川が氾濫し、良才洞の良才小学校が浸水したほか、牛眠山で発生した山崩れにより16人が死亡し2人が行方不明になるなど、大きな被害を出したことは記憶に新しい。

 そんな瑞草区に関連のある切手としては、牛眠洞にある国立国楽院の創立40周年を記念して1991年に発行された1枚を挙げたい。

 国立国楽院は、韓国の伝統音楽である国楽の継承・発展を目的として、1950年1月19日の大統領令によって、組織としては同年4月10日に発足した。しかし、同年6月、韓国戦争が勃発したため、常設の施設としては1951年に釜山でスタートし、李王職雅楽部出身の李珠煥が任命される。

 休戦後、国楽院はソウル市の鍾路区に移転し、現在の場所に1987年に移転した。

 二つの劇場、事務棟、博物館が連結通路でつながっている建物の構造は、寺の伽藍配置を真似ており、石垣で閉じられた外壁には、昔の城郭の強固で端正な線が込められているという。また、メインの公演場である礼楽堂は、水原の水原城をモデルに設計された独特の外観が印象的だ。

 1991年に発行された記念切手では、竹笛の大琴を吹く楽人の衣装に、銀色の線描で国楽院の建物が描かれているが、モノクロの図版ではちょっとわかりにくいかもしれない。