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2001/06/08

<韓国文化>「石人」70点、韓国に里帰り

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    韓国に返還される文人石(朝鮮後期)

 韓国では過去、海外からの侵略や国内の戦乱の渦中で貴重な文化財が海外に流出した。そうした文化財を取り戻そうとする運動が近年、活発になっている。そうしたなかで、日本の収集家が「もっとたくさんの人に見てほしい」と、高麗、朝鮮朝時代の「石人」70点を韓国に返還することになった。関係者は、「われわれの貴重な文化遺産が戻り、われわれの手で後世に伝えることができる」と喜んでいる。

 返還されることになったのは高麗、朝鮮朝時代の「石人」といわれる石造物で、武人、文人、童子など70点。日本文化の源流である韓国文化に関心を寄せていた名古屋の会社社長・日下守氏(66)が戦前から日本国内で収集してきたものだ。

 日下氏はもっと多くの人に鑑賞してもらうには、韓国に返還するのが一番いいと考え、京畿道竜仁市にある私立博物館「世中エッドル博物館」に寄贈することにした。

 文人石は墓を守るため、武人石、石獣などともに正面に配置するもの。陵墓の周辺に文人石を配置する風習は中国の前漢時代(紀元前206―紀元24年)から始まったもので、韓国には8世紀半ばに唐の影響で陵墓制度が整備されたころ伝わったとみられる。代表的なものとして、慶州にある新羅時代の聖徳王陵と興徳王陵をあげることができる。

 高麗時代にも、新羅の影響で陵墓の前に石人と石獣を並べていたが、初期には武人石はなく、文人だけを配していた。14世紀半ばになって、再び文人石と武人石が一緒に使われるところも出てくる。朝鮮時代に入り、文人石は使われ続けるが、高麗時代に比べると、彫刻技術が著しく退化し、彫刻品というより象徴的なものとしての正確を帯びることになる。

 童子石は子供を表した石造物で、純粋さと知恵の象徴。時代の変遷とともに、墓だけではなく寺院や村の入り口にも立てられるようになり、呪術的な要素が加わり民間に広まっていった。

 寄贈される世中エッドル博物館は、伝統的な石造物の専門博物館として2000年7月1日に千信一氏(57)が開設した。約1万8000平方㍍の敷地に87種・六〇〇〇点におよぶ遺物を展示している。

 千氏は、「日本へ密搬出された貴重な文化財の里帰りが実現でき限りない喜びだ。当博物館の活動が、海外に流出したわれわれの文化遺産に対する関心が高まり、民族の自尊心を取り戻すきっかけになることを願う」と話している。

 日下氏は「私の誠心が日韓関係のさらなる発展と両国民の相互理解、相互信頼構築に寄与できれば」と述べた。


 13日に三重で返還行事

 日下守氏が所蔵する韓国の石造文化財70点を里帰りさせる記念行事「在日韓国文化財返還記念行事」が13日、三重県白山町の日下氏が運営する農園で、同氏や李壽成・韓国民族博物館会会長、千心一氏らが出席して開かれる。