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2005/06/17

<韓国文化>文化財調査・保存の先駆者

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    江西大墓玄室東壁模写(青龍)
    関野は高句麗古墳壁画の精確で詳細な調査を行った

 20世紀初頭、古文化財の調査・研究に大きな功績を残した建築士家、関野貞の仕事を振り返る「関野貞アジア踏査-平等院・法隆寺から高句麗古墳壁画まで」が、東京大学総合研究博物館で9月4日まで開催中だ。高句麗古墳壁画の実物大模写など、貴重な資料が初展示されている。

 関野貞(せきの・ただし、1867~1935)は建築史学の研究者で、東京大学には1901年(明治34年)から1928年(昭和3年)の定年退官に至るまで在籍した。

 約40年間の研究生活の間に、日本、韓半島、中国を広く踏査し、その網羅的リストを造り、現地にあった無数のさまざまな「モノ」から、「価値の高い対象」を選び出して研究し、そして「保護すべき文化財」を選別していった。

 関野は工学分野のなかの建築学の出身で、生涯を通じて建築学を専門としたが、建築に関連するものとして都市遺跡、彫刻、絵画、工芸、古墳、瓦、石碑まで広く関心を持ち、同時に調査・研究を進めている。

 関野の研究方法は、対象を「モノ」として徹底的に説明する、というものである。「モノ」の形を正確に図化し、写真撮影を行うという手法を積極的に試みた。この手法は現在ではだれも疑問をもたずに使っているが、関野によって確立・定着した手法といえる。

 同時に「モノ」である調査対象を、「模型」「模写」という複製品に置き換え、現地で直接接していない人々にも研究を可能にする方法を開発した人物としても再評価に値する。

 今回の展示では、特に韓半島と奈良における関野の文化財踏査の足跡をたどり、その仕事の意義を検証している。膨大な数に上るフィールドカード、乾板写真、評価修復に関わった平等院鳳凰堂、薬師寺など古社寺の模型、図面に加えて、東アジア古建築の瓦、朝鮮古墳関連資料、それに高句麗古墳を保存すべく関野が制作した壁画実物大模写も展示されている。

 関野は、1894年に平等院鳳凰堂を調査後、その2年後奈良に赴任し、古建築の修理・調査を担当、1903年から文部省の技師を兼務し、文化財保護行政の実質的な責任者となった。

 韓半島には1902年、韓国古建築調査で最初に渡航した。このときは統一新羅、高麗、朝鮮時代の都城を中心に古建築・遺跡・美術を踏査した。1909年からはほぼ毎年通っている。

 古建築調査から古墳墓の調査へと重心が移り、踏査によって楽浪郡遺跡、高句麗壁画古墳、三国時代の王墓など、多くの重要遺跡を発見し、精密な発掘調査を実施した。踏査ではほぼ韓半島全域を網羅し、約900余棟の木造建築物を調査した。関野は日本での古社寺保存法にもとづく調査での経験をもとに、韓半島での文化財の目録作成と残すべき文化財選択を目的に調査を行ったのである。関野は現在「文化財」となっているほぼ総てのジャンルの「モノ」を調査・報告し、その網羅的な調査結果は『朝鮮古墳図譜』(全15冊、1915~1935)という大部の図録に結実した。

 高句麗壁画古墳の調査は、韓半島で最初の壁画古墳の本格的な調査であった。関野は高句麗古墳壁画について最高ランクの調査・研究・保存が必要と考え、現地で詳細な実測図、写真、調査日記を作成した。特に石室の図面は精確であり今日でも評価が高い。今回展示されている模写は、関野貞研究チームにより1913~14年に作成されたものである。

 同展を企画した西秋良宏・東京大学総合研究博物館助教授は、「韓国、日本、中国において現在ユネスコの世界遺産に登録されている文化財の多くが、関野が最初に詳細な報告を作成したもの。文化財の扱いがまだ確立されていなかった時代に、その修復や保存、公開にまで尽力したいわば東アジアにおける文化財研究の先駆者の一人であり、その業績はもっと知られてよい人物。その足跡をぜひ知ってほしい」と話す。

 
◇「関野貞アジア踏査-平等院・法隆寺から高句麗古墳壁画へ」◇

日時:6月4日~9月4日
場所:東京大学総合研究博物館
主催:同博物館ほか
入場料:無料
℡03・5777・8600(ハローダイヤル)