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2006/01/27

<韓国文化>戸田志香の♪♪音楽通信

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    マフィアよりも強い結束が自慢のソリストアンサンブル。韓国男性の魅力満載の歌声は世界を虜にするだろう

 「私が毎年、必ず出かける音楽会がある。それはソリストアンサンブルのコンサートだ。この国は和合が弱く、争うことが多いのにソリストアンサンブルには争いがなく、和合がある。なぜか。羨ましい」

 韓国プロサッカーチームの監督車範根(チャ・ボングム)が書いた新聞のコラムだ。

 年末恒例のソリストアンサンブル定期演奏会は昨年、22回目を迎え、12月27日に世宗文化会館でおこなわれた。

 韓国内のテノール、バリトン、バスといった男声ソリストたち60人が全国から集まっての舞台は、誰をも包み込む温かさにあふれ圧巻である。各パートごとに出演者の名前が紹介され、登場となる。全員が揃ったところで歌われるのが「友情の歌」だ。「声高らかに叫ぼう 空が流れるように 手と手をとって共に歌おう……」。日本ではビアソングとして有名な「乾杯の歌」だ。

 ソリストアンサンブルは年1回の定期公演以外に、2年に1度、在米同胞のためのアメリカツアーをおこなっている。そうした公演の裏方を一人で担っているのが総務役の鄭承一さんだ。工学部出身で建設業界に身を置いている鄭さんが、そうそうたるソリストたちと肩を並べるようになったいきさつはこうだ。

 鄭さんは1960年に漢陽大学校工科大学に入学した。高校時代から合唱が好きだった鄭さんに、音大声楽科学生でバリトンの朴秀吉さんから「男性が少なくて混声合唱ができない。助っ人に来てくれ」と声がかかった。女性が多い音大に心惹かれた鄭さんは二つ返事で引き受けた。

 当時、KBS国営放送局専属合唱団の仕事は、音大生が憧れるアルバイト先だった。練習と録音で一週間に2回通うだけという割のいい仕事で、そのオーディションに合格した鄭さんは2年間、そのアルバイトで学費を賄った。音大生に混じってのただひとりの工科大生だった。

 20年近い月日が流れたある時、オペラガラや韓国歌曲ではない、一年を送るにふさわしいワクワクするステージを声楽でやれないだろうかという話が持ち上がった。「そうだ!それなら学生時代、KBS合唱団で歌っていた仲間を集めて何かやるのはどうか」という提案が出た。

 60年代のKBS合唱団同窓会をやろうという呼びかけに、不惑を越えた30人が集まった。みな留学をし、大学教授になり、オペラ、コンサートで活躍する第一線のソリストになっていた。

 1984年12月30日、KBS合唱団同窓会音楽会を世宗文化会館でおこなった。二十年前と同じ声に囲まれ、同じサウンドが生まれた感慨。舞台の上で握手を交わし、拍手を送る喜び。ソリストアンサンブル号の船出だった。

 同窓会気分で出港したソリストアンサンブル号に恩師クラスの大ベテランが、友だちが、弟子が、孫弟子が乗り込み、今では70人ほどの大所帯になった。

 「先輩、後輩、同僚、師、弟子という関係はマフィアより徹底してます」と鄭さんは笑ったが、30代から80代という世代を越えたソリストたちの、歌で結ばれた絆が友情を奏で、和合を培ったからこそ二十数年もの航海が続いてきたのだろう。

 去年のプログラムはオペラの中の男声合唱曲、童謡、歌謡曲、カンツォーネ、韓国歌曲、聖歌と幅広いジャンルの曲で構成されていた。ソリストアンサンブルに合唱のような緻密なハーモニーを求めるのは難しい。ひとりひとりの熱く燃える声が重なり、ひとつの響きとなった時に表現されるのは、まさしく今の韓国の喜び、悲しみ、怒りなのだ。

 国の復興と共に青春を歩いてきた創団メンバーたちの絆が、次から次へと新しい絆を生み、和合の歌声となって広がっていく。ソリストアンサンブルは世界に誇れる韓国の顔だ。


  とだ・ゆきこ 国立音楽大学声楽科卒業。元二期会合唱団団員。84年度韓国政府招へい留学生として漢陽音楽大学で韓国歌曲を研究。「町の音楽好きネットワーク」ディレクター。著書に『わたしは歌の旅人 ノレナグネ』(梨の木舎) 。