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2006/08/18

<韓国文化>製作地の解明に光

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    韓国国宝78号の金銅半跏思惟像(左)と新発見の金銅半跏思惟像の背面部

 韓国の世界的に有名な2体の大型金銅半跏思惟(はんかしい)-そのひとつである国宝78号(高さ80・3㌢、6-7世紀初)に、造形形態が酷似している朝鮮三国時代の金剛仏(高さ8・5㌢)が、このほど東京在住の韓国人美術愛好家H氏(66)宅で発見された。細部にいたるまで形制上の共通性が認められるところから、両像の密接な関係は否定できず、国宝78号の製作上のひとつのモデルになった可能性がある。今回発見された金銅仏の歴史的な意義について、美術史研究家の韓永大氏に話を伺った。

◆新発見の金剛半跏思惟像 その歴史的意義を探る 韓 永大(美術史研究家)・下

 今回発見された金銅半跏思惟像(以下「新例」)と、韓国国立博物館所蔵の国宝78号金銅半跏思惟像(以下「国78像」)の主たる共通点を略記する。

①3条の冠帯が佩玉(はいぎょく)を通して両肩に垂れる。宝冠の上半分が欠失しているので、「国78像」の日月文との比較は不能だが、三山形でない、複雑な宝冠と推定される。
②垂髪(すいほつ)が3つの束状になり両肩に垂れる。
③肩にかかる天衣(てんね)の先端が反り返る。
④天衣は両肩から腰部に達し、右脚中央部で左右の天衣が交差し、左からの衣文は右膝を覆って右腕を巻き、台座に垂れる。
⑤右足のかかと上に左手を置き、その指先を右からの衣文が通り、左膝を覆う。
⑥頬にあてた右指のうち、頬に接するのは人差指と中指で、それ以外は折れ曲がる。
⑦腰から台座にかかる衣褶の配列と襞の数(「国78像」の場合、衣褶の彫りが浅く、褶襞がパターン化されているのが特徴)。
⑧蓮華座の蓮弁のふくらんだ形状と蓮弁の数。
⑨背面には大きなU字文、そして後頭部にはシャープな山形文。
⑩比較的大きな臂釧(ひせん)・腕釧(わんせん)・首飾り。

 さらに両像の共通点として特に指摘したいのが、台座両側に垂れている腰佩垂飾の異なる、独特な意匠である。

 台座左側には、垂飾紐の蝶結びの下に、斜ななめ格子(こうし)文帯があり、一方の右側には連珠(れんじゅ)とビーズの文様帯がある。この斜格子文は羅(ら、薄い絹の織物)の文様として日本の正倉院にも優れた遺例があるが、その系譜をたどれば古代シルクロード上の都市に例がある。連珠文(白珠の連続文)も西方のササーン朝ペルシア(3-7世紀)に起源を発する聖なる文様で、仏教でも吉祥文様として使われる。

 ビーズは数万年前からの、人類の最も古い装飾だが、オリエントでは少なくとも紀元前3000年前から宝石、貝殻、真珠などに加工されている。紐を通して数珠玉として用いたことから仏教とも密接な関係を持つ。

 上記の通り、「国78像」と「新例」とは細部にいたる造形形態を共有している。「新例」は「国78像」が「抽象化・観念化」される直前の像容を示していると考えられ、殊に顔貌において「自然」の表情を残しているところから、そのことが窺われる。このようなことから、「新例」は「国78像」製作上の有力なモデルのひとつになった可能性が考えられる。

 「国78像」の大型で複雑な形の宝冠、宝冠中の日月文などはササーン朝ペルシアの王冠宝飾に由来し、シルクロード、中国を経てもたらされたものである。また、台座左右の斜格子文、連珠文、ビーズ文もシルクロード経由の西方文化である。

 朝鮮三国の中でこうした西方文化とのつながりの最も深い国を探すと、新羅の存在が浮かび上る。慶州・金冠塚(5-6世紀)の西方色豊かな遺品はじめ、シルクロードの古代サマルカンドのアフラシーアーブ壁画(7世紀初)に描かれた新羅人男女図などからもそれは説明されうる。

 この見方を裏付けるように、台座左右の異なる意匠の半跏思惟像の出土例は「新羅からの発見例が多い」(大西修也氏)のであり、慶南の梁山(ヤンサン)金銅像(梁山郡魚谷里)や慶北奉化郡の北枝里石仏などがある。従って、「新例」の製作地も新羅と考えられるが、このことにより、製作地についてこれまで論争が続いている「国78像」についても、「新羅説」を大変有利にする歴史的意義があると考えられる。

 最後につけ加えたいことは、この「新例」像のように、韓国の貴重な古文化財が今なお、異国の地で突然発見されるという衝撃であり、歴史的な深い闇の土壌である。

 前記の韓国の二大金銅仏でさえも、発見当時(1912~15)その正確な出所は不明で、慶州あるいは慶尚道、あるいは安東などから「出土したといわれている」「発見されたもののようである」「出土と伝えられる」など、いずれも伝聞・推測形式で、今日に至っている。

 こうした背後には、日本人古物業者の直接的関与が指摘されており、学問研究上への取り返しのつかない損失をもたらしている。韓国の20例の金銅半跏思惟像中、出所が明らかなのは数例なのもこれと無関係でない。

 この「新例」像もまた、いつ、どのようにして、故国を離れ、異国を流浪する(さすらう)羽目になったのか一切闇の中だが、偶然とはいえ、在日の韓国人の懐に戻ることになったのは、せめてもの慰めであり、浅からぬ仏道の因縁に心救われる思いでもある。


  ハン・ヨンデ 1939年岩手県生まれ。在日2世。上智大学卒。著書に「朝鮮美の探求者たち」(未来社)、訳書に「朝鮮美術史」(A・エッカルト著、明石書店)。美術史学会員。本紙に「柳宗悦と朝鮮」連載(2004年5月21日~2005年12月16日)。