ここから本文です

2006/07/07

<韓国文化>戸田志香の♪♪音楽通信

  • bunka_060707.jpg

    受講生たちとともに、後列右から5人目が呉鉉明さん。同右端が申麻未さん

 5月、大阪で韓国歌曲のレッスンが開かれた。講師はバス・バリトン歌手の呉鉉明(オ・ヒョンミン)さん。韓国歌曲の第一人者で韓国声楽界の重鎮だ。

 受講生は12名だった。レッスンの受講にあたり、呉さんから吸収したいことは何かとの設問に、23歳の申麻未さんはこう書いた。

 「私は韓国に故郷があり、国籍は朝鮮という立場の在日朝鮮人です。母国というと自分も韓国なのか北なのか悩むところなのですが、流れている血はコリアンなので、ずっと自分の国のことばで、自分の国の音楽を習いたかったです。今回は技術、音楽はもちろんのこと、魂を感じたいと思っています」

 レッスンを受ける二週間ほど前から、緊張のため胃痛になったという申さんが選んだ受講曲は「なつかしい金剛山」「青山に住むだろう」「川を越え、春が来るように」の3曲だった。

 今回、大阪でおこなわれたレッスンは私が関西の在日演奏家と立ち上げた「大阪発信韓国の歌プロジェクト――韓国の風に誘われて」の大きな柱だ。

 日本では韓国の歌というと「アリラン」の次にはどんな曲が挙げられるだろうか。ひところは「釜山港へ帰れ」、今は「冬のソナタ」か…。小学校の音楽教科書に韓国の童謡が数曲、教材として扱われるようになったが、それは”ちょっとしたいい話”の出来事に過ぎない。

 2年前、大阪で開かれた呉さんの音楽会で、呉さんから韓国の歌のレッスンを受けたいという声が寄せられた。それは呉さんと共演した生野区の在日男声合唱団、サナイ合唱団の崔太成さんからだった。

 「神様のような呉先生と一緒に歌えるなんて信じられません。一度でもいいからレッスンを受けられませんか」。その声は昨年秋、もっと大きく聞こえてきた。

 韓国の歌はもちろん韓国語だ。在日韓国人にとってことばの壁は高くはない。そうした人たちが謙虚に歌と向き合い、歌によって自分を磨き、歌の質を高めていき、「韓国の歌なら私たちに任せて」と誇らしげに言うようになったらと、私の中で思いがふくれあがった。

 「大阪から韓国の歌を発信していこう」の大きな柱は演奏とレッスンだ。演奏を通して伝えること、聞いてもらうこと。歌の持つメッセージをことばで伝えること、そのことばを消化して自分の歌にすること。いい土壌にいい種を植え、いい水と肥料をやる。レッスンはいい種を育てることだ。

 呉さんのレッスンが始まった。申麻未さんはこわばった顏で歌い出した。「なつかしい金剛山」だ。曲ができたいきさつ、作曲家の素顔、エピソードなどを交えてレッスンをしていく呉さんが、何よりも力を込めて語るのは”ことば”、”詩”だ。

 「イタリアの作曲家グルックは、歌詞はメロディーの奴隷ではないって言ったんだよ。よく知られている歌ほど、譜面をよく見る。ことばを十分に理解する。ことばだけを何回も何回も読む、すると感情が出てくる」

 まずことば。そして譜面に書かれた通りに歌う。それが一滴の媚薬のように、琴線にふれる歌になる。歌が生きてきた。

 「韓国の歌は初めてでした。私は在日という狭い社会の中にいるのが嫌で、離れようとしていました。在日として何かができるだろうなんて考えたことはありませんでした。でも私はコリアンとして韓国の歌は歌わなくてはいけないと思いました」と申麻未さんは話す。そして「今回の短いレッスンは幸せな時間でした。この出会いに純粋に感動しています」とつけ加えた。

 歌の花は聞く人の心に咲くものだと私は思う。ひと粒の種、申麻未さんがたくさんの人の心に花を咲かせる歌はどんな歌だろう。そのための土壌づくりをこれからも続けたい。


  とだ・ゆきこ 国立音楽大学声楽科卒業。元二期会合唱団団員。84年度韓国政府招へい留学生として漢陽音楽大学で韓国歌曲を研究。「町の音楽好きネットワーク」ディレクター。著書に『わたしは歌の旅人 ノレナグネ』(梨の木舎) 。