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2007/12/07

<韓国文化>韓日大家の交流の跡探る

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    崔榮林「佛心」1967年 キャンパス・油彩 国立現代美術館(韓国)蔵

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    棟方志功「華狩頌」1954年 紙・木版 青森市蔵(棟方志功記念館寄託)

 ソウルの国立現代美術館徳寿舘と青森の青森県立美術館の共同企画「棟方志功・崔榮林展」が、青森県立美術館で開かれている。韓日を代表する著名な画家、崔榮林(チェ・ヨンリム、1916-1985)と棟方志功(1903-1975)は1938年ごろ、知人の紹介で知り合い、韓国戦争の混乱期を除き数十年に渡って親交を重ねた。ほとんど知られることのなかった2人の交流の足跡と作品を紹介する貴重な展示会で、来年は韓国でも開かれる。

 最近に入って美術史学界を中心に韓日間の画風上の影響関係、あるいは日本の文化政策が韓国に与えた影響に焦点を当てた研究論文が発表されている。しかし、韓日両国の作家がどのような師弟関係にあって、どのような影響関係にあったのかを具体的に研究するという段階には到達していないと思われる。さらに、両国美術家の作品上の影響関係を示した展示は韓国国内ではほとんど開催されなかった。

 韓国の近代史を正確に把握するためには、まず、韓国で起きたことは何だったのか、影響を受けたのはどの部分だったのか、そして、そのような関係の中で新しく創案したものは一体何であったのかを分析することが、研究の基本にならなければならない。

 このような問題意識から、韓国の美術史の確立のために避けては通れない問題である韓日関係史の確立を目標に、その最初の企画展として、師弟関係にあった棟方志功と崔榮林の 2人展を日本の青森県立美術館とともに共同開催する企画を立ち上げた。

 この二人の美術家は韓国と日本両国の美術界で、共に独特の画風を確立した作家であると評価されている。崔榮林は戦後の牧歌的自然主義を代弁する作家であり、棟方志功は日本現代版画の大家と評されている。このような評価は、崔榮林と棟方志功の作品が伝統主義の脈絡の中にあるという前提を土台に確立されたものである。さらに、理想的な女性像を作品に投影しているというという点でも共通している。

 平壌の豊かな家庭に生まれた崔榮林は美術家になる夢を抱き、友人と連れ立って当時平壌博物館学芸員として勤めていた小野忠明から美術を習う。高等学校を卒業した崔榮林は、小野の紹介で彼の幼馴染であり、日本版画界でいままさに名を上げようとしていた棟方志功を訪ねるようになる。ここに二人の間の師弟関係が形成された。しかし崔榮林は家業の継承を望む父の反対から美術学校で学ぶことを諦め、渡日後2年で帰国する。崔榮林は6・25(1950年の朝鮮戦争開戦)前後には帰郷するであろうと固く信じ、愛する故郷に年老いた母と妻子を残して、着の身着のまま単身南下した。越南以後の崔榮林の画風に対する評価は、主に黒色の時代と黄土色の時代、そして説話時代だけが際立ってきたことは事実である。しかしこれのみをもって崔榮林の画風変化を完全に把握することはできない。それだけでなく、崔榮林の画風に及んだ棟方志功の影響と、彼自身が創作したものを把握するのも不可能である。

 1960年代後半、崔榮林は自己の独特の画風を探し、それを深めていった。この時期に制作された作品は伝来の民談や説話、伝説をもとにした作品であり、あるいはエロティックなヌードの女性を楽園境に描きこんだ牧歌的な傾向の作品である。榮林の画面に現れるこのような画風の変化は、彼が日本で学んでいた頃の師匠である棟方志功の影響であると評されてきた。しかし棟方のエロティシズムが、宗教的厳粛性と精錬さを特徴としているのに対し、民談からの説話を題材にした崔榮林のそれは、民衆的親近感と闊達な生動感を特徴とする。このような官能の世界は、それまでに崔榮林自身が継続的に試みを繰り返してきた造形言語の集大成であると言えるだろう。

 近年活発に行われている韓日文化交流の成果を確認し、その新たな方向性を模索するために設けられた今回の展示は、崔榮林と棟方志功の作品世界を比較検討する機会を提供する。師弟関係にあった芸術家の共通点と相違点を探り、また、韓国と日本両国の特性を明らかにすることとなるだろう。(図録掲載『語りかける作品』・奇恵卿・国立現代美術館学芸員より抜粋)


■棟方志功・崔榮林展■
日時:開催中(12月24日まで)
場所:青森県立美術館
料金:一般800円、大高生560円
℡017・783・3000
*来年1月より韓国で開催