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2010/11/19

<韓国文化>日韓被爆者の姿、伝えたい

  • 日韓被爆者の姿、伝えたい①

    まつだ・まさたか 劇作家・演出家・マレビトの会代表。1962年長崎県生まれ。90年から97年まで劇団「時空劇場」代表を務め劇作・演出を手がける。現在はフリーの劇作家として、作品を書き下ろしている。

  • 日韓被爆者の姿、伝えたい②

    『HIROSHIMA―HAPCHEON』より

  • 日韓被爆者の姿、伝えたい③

              『HIROSHIMA―HAPCHEON』より

 被爆都市・広島と、広島で被爆した韓国人が多く住み「もう一つのヒロシマ」とも呼ばれる韓国・陜川(ハプチョン)、二つの都市をめぐる展覧会」が24日から都内で上映される。演出の松田正隆さんに話を聞いた。

 近年、「都市」をテーマとする作品群を連続して製作・発表している松田正隆率いるマレビトの会は、「もう一つのヒロシマ」と呼ばれる陜川に注目し、韓国人被爆者が数多く住む同地を取り上げることで、「唯一の被爆国・日本」からこぼれ落ちた「異邦性」をめぐる問題に迫っていく。

 ――二つの都市をテーマにした理由は。

 私自身が長崎出身なので、小学生の頃から原爆の問題は身近にあった。8月9日の原爆投下日は平和学習を行う登校日になっていた。また被爆の痕跡も残っていたので、否が応でも向き合わざるを得なかった。しかし、積極的にこの問題に向き合いたいと思ったのは、ここ数年のことだ。

 日本は唯一の被爆国として平和を訴えているが、そこからはアジアの一員としての視点が見えてこなかった。今回の演劇上演にあたって、ぜひ陜川の話を入れたいと考えた。

 ――陜川に何度も足を運んだと聞いたが。

 3回訪ねて、被爆者本人や被爆2世の話を聞いた。陜川の人々がなぜ大勢、広島に渡らざるを得なかったのか、それを体感することができた。

 日本の被爆者も韓国人被爆者も、そして在日の被爆者も、語り口はとても似ているのが、印象に残っている。

 広島で車掌として働いていたある韓国人被爆者は、今も駅名を覚えていて、すらすらと語ってくれたが、それが強く耳に残った。これは演劇に生かしている。

 ――展覧式演劇という方法を用いているが、どんなスタイルか。

 12人の若い役者たちが、展覧会場で体験を語る仕組みだ。観客は好きな時に入場して、一人の話をじっくり聞くこともできるし、足早に観ることもできる。役者の演技に、観客の体験と想像力を加えた新しい舞台体験だ。役者たちは陜川にも行ってきた。その成果がどう出ているかも観てほしい。

 ――作品で最も訴えたいことは。

 被爆者問題は日本だけでないことを問い直し、戦後日本とアジアの問題は、まだ決着がついていないことを知らせたい。そして今後の日本と韓国、日本とアジアの関係を見直してもらうきっかけになればと願っている。

 
◆韓国人被爆者と陜川◆

 韓国・慶尚南道の北部に位置する陜川は、釜山より車で約2時間ほどの山あいにある小さな街。20世紀初頭から戦時中にかけて、この地域から大勢の出身者が広島に移住し、そして原爆投下の犠牲となった(広島における韓国・朝鮮人被爆者の数は、被爆者総数42万人のうち約5万人と言われている)。戦後、帰郷した人々がいまも多く住む陜川は、「韓国のヒロシマ」「もう一つのヒロシマ」などと呼ばれている。現在、市内には大韓赤十字社が運営する原爆被害者福祉会館があり、高齢になった被爆者が過ごす施設として約110人が入所している(待機者は約130人に上る)。


■「HIROSHIMA―HAPCHEON:二つの都市をめぐる展覧会」■
日時:11月24日~28日
場所:自由学園明日館講堂
  (東京都豊島区西池袋)
料金:前売り2500円、当日3000円
電話:03・5961・5202