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2011/04/01

<韓国文化>インタビュー リサイタルと個展を控えて

  • インタビュー ―リサイタルと個展を控えて①

    ウォニー・ソン 韓国生まれのカナダ・モントリオール育ち。8歳からピアノを始める。98年モントリオール大学卒業。05年カーネギーホールで初リサイタルを行う。日本公演は℡0120・499・699。

  • インタビュー ―リサイタルと個展を控えて②

    ペク・スンウ 1973年韓国生まれ。韓国・英国の大学・大学院で写真を学び、現在はロンドン、ソウルを中心に活動。ヒューストン美術館、サンフランシスコ美術館などに作品所蔵。

 韓国系カナダ人ピアニスト、ウォニー・ソンの日本初リサイタルが今月中旬、東京・大阪・名古屋で開催される。また韓国人カメラマン白承祐の個展「Blow Up」が、東京・白金のMISA SHIN GALLERYで開催中だ(16日まで)。ウォニー・ソンと白承祐に話を聞いた。


◆韓国系カナダ人・音楽世界の共有を ウォニー・ソン(ピアニスト)◆

 父がカナダ転勤になったのをきっかけに、1歳の時に移住した。両親はカナダの文化に惚れ込み、家族の拠点をカナダに置く事にしたが、容易な決断ではなかった。時々、両親が私を韓国で育てていたら、ピアニストになっていたかどうか疑問に思う事がある。

 アジア人の多くの親がそうであるように、私の母も可能な限り良い教育を受けさせたいと考えていた。数学、語学、テコンドーなど、母は幅広く習い事をさせたいと思っていたので、ピアノもそんな習い事のうちの一つだった。母は私の才能を見出し、素晴らしい講師たちのレッスンを受けさせようと多くの犠牲を払ってくれた。ある町で行われたコンサートに出演する私のために、吹雪の夜道を運転してくれたこともあった。母の献身的なサポートには、本当に感謝している。

 私は音楽が大好きだ。音楽とは自分自身を発見する事、また素晴らしい音楽を聞いた時に何を感じるかだと思っている。聴衆は音楽に正直でない演奏を鋭く見抜く。ピアノを弾くうえで最も重要な事は、例え弱点になろうとも出来るだけ自分自身をさらけ出すことだと思っている。

 私は日本の文化、食べ物、人々、そして特に観客が大好きだ。彼らはアーティストに対して敬意を表すとともに、アーティストによって異なる曲の解釈を理解しようと務めてくれる。だから4月のコンサートでは、ストーリー性あふれる作品をプログラムに選び、私自身の音楽世界を観客と分かち合いたいと思っている。

 韓国、カナダという二つの素晴らしい文化を持ち合わせる事ができたのは、本当に特別な事だと思う。在日韓国人の方々もそう考えていると思うが、一つの文化をもう一つの国の視点から見る事ができる。以前は、「本当の私は誰なのか」、ほとんど韓国人?それともカナダ人?または半分半分?と葛藤もした。しかし、年を重ねると、そう考えること自体に疲れ、決めつけることをあきらめた。私は世界の住民として、素晴らしい国々、人々そして経験から良い部分を吸収しようと思っている。私の抱負はシンプルだ。素晴らしい国を訪れ、素晴らしい人々と出会い、人生を謳歌すること。それこそが、私のピアニストとしての音楽作りに反映されると考えている。


◆「偽者」の中に隠された真実 白 承祐(写真家)◆

 2000年に南北首脳会談が開催され、緊張緩和が続いていた01年、カメラマンとして平壌に1カ月滞在して撮影する機会があった。

 しかし平壌での撮影は、徹底した監視と統制の下で限られた区域の撮影に限定された。担当官が常に横にいる中での撮影で、子供たちの音楽ショーや各種展示館などに制限されていた。

 まるで都市全体が映画のセットのような雰囲気だった。幼い頃に受けた学校教育では北は貧しい国と聞かされ、北では幸せな国と自らを宣伝していたが、そのどちらでもない国だと実感した。

 ハリウッド映画で『トゥルーマン・ショー』というセットの中に住む青年を描いた映画があったが、あんな感じだ。

 撮影したフィルムは検閲によって大部分が切り取られた後に没収され、手元に残ったのは私たちがよく見る典型的な平壌の風景だった。そのままフィルムを放置していたが、数年後、その写真を「拡大」してみたら面白いのではないかと考えた。35㍉フィルムを数十倍に引き伸ばし、ざらついたイメージを作り出すことで、理想都市として宣伝したいという向こうの思惑とは違って、北の非現実的な世界を一層現実的に浮かび上がらせることができた。それを「Blow Up」シリーズと名づけた。

 一方、「Utopia」シリーズは、70年代の北のプロパガンダ写真をもとに、写真の中の建築物の階層を増やしたり、橋でつなぐ事などのコンピューター操作によって、非現実的な世界をより非現実的な情景にしている。

 北をテーマにしたというより、この世界のどこにでも「偽物」は存在しており、その「偽物」の中に真実が隠されているということを描いた。