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2011/11/04

<韓国文化>時調(シジョ)は韓国人の感性と情緒を表現

  • 時調(シジョ)は韓国人の感性と情緒を表現①

    イ・グンベ 1940年韓国・忠清南道生まれ。ソラボル芸術大学文芸創作学科卒。韓国時調詩人協会創立理事、同会長などを歴任。大韓民国芸術院会員。

  • 時調(シジョ)は韓国人の感性と情緒を表現②

    韓国文学への理解を深めた東京フォーラム

 韓国文学を日本に紹介するための「韓国文学翻訳院東京フォーラム」(韓国文学翻訳院主催)がこのほど、都内で開かれた。韓国を代表する詩人の一人である李根培氏の報告「韓国、韓国人のアイデンティティーとしての時調」を紹介する(要約)。

 韓国は、長い歴史と伝統文化を持った単一民族国家であった。数千年の歴史と伝統を継承しつつ、統一された一つの民族言語と民族文字を持った国はあまり多くない。

 時調は、「輝く韓国文学の遺産」であり、また「たった一つの韓国伝統の詩」という定義から脱して、民族的生と歴史と文化を一つにして韓国人の魂、言葉、文を盛り込んだ韓国という国、韓国人という民族のアイデンティティーの骨組みであり、肉なのである。

 また時調は西欧で発生した小説より、さらに長い歴史を持ち、韓国民族は昔から身分と階級の上下なしに時調を作って詠じつつ生活して来た。このような文化民族の情緒と精神が母国語と出会って形成された最も理想的で誰でも易しく体得できる伝統の詩としての生命力が、時代を超えて伸びていくのである。

 韓国文学の歴史は詩から始まり、時調の歴史は詩の歴史と共にあった。遠い上古時代から我が民族は天への祭天儀式で迎鼓、舞天、すなわち太鼓をたたきながら歌って踊った。しかしそのように歌った歌は口伝で伝わっても消滅してしまい、記録にはほとんど残っていないが、公無渡河歌、黄鳥歌、亀旨歌などが残っていてこれらによって時調の原型は形を取り始めた。

 確かに古代の神歌、俗歌、民謡などは3章の型を大体踏んでいる。古代高句麗の「乙巴素」、百済の「成忠」、新羅の「薛聡」の時調が伝えられてはいるが、それらは後世の人々が時調形式に改作したという説に異論はなく、概して新羅の郷歌から自然に初、中、終章の型が形成され、高麗中葉に来て時調形式が完成されたと文学史は断定している。

 趙潤済は、「時調はやはり高麗の時に成立した詩歌文学と見るのが一番妥当だろうが、高麗末期に完成された時調があったという確証が立つなら、その完成された時調型はその時に突発的に成立したのではないだろう。それ以前から漸進的に発達して来たのだろうから、それは多分中期から始まったと言っても良いだろう」と明らかにした。

 時調の形成、及び発達過程の時代区分は、次のように分けられる。

①胎動期(7~9世紀、三国時代、統一新羅時代)
②形成期(10~12世紀、高麗時代前期)
③完成期(12~14世紀、高麗時代後期)
④成長期(15世紀、朝鮮、ハングルの創製)
⑤勃興期(16~17世紀、秀吉の朝鮮侵略前後)
⑥拡散期(18世紀、英祖、正祖時代)
⑦衰退期(19世紀、大韓帝国末)
⑧新時調復興期(1906~1920 開化期)
⑨現代時調発展期(1920~現在)

 長い歴史と伝統を継承して来た時調は、短い歌という意味で短歌、時節短歌、などとも呼ばれて来た。そうするうちに時調という名前で初めて記録されたのは、申光洙(1712~1755)の「石北集」「関西楽府」であった。徐元燮は、「作品を主とした英祖以前は、これら作品を短歌と呼んでいたのだが、英祖時代になって多くの歌人たちが輩出され、短歌に勝手に曲を付けて歌うようになって、唱曲界には混乱が起きるようになった。この時、歌人・李世春がこの混乱を座視できなくなり、雑多な曲を整理、統一して短歌に付けて歌える曲を作り、その名称を時調とした。この時から作品内容を指称する短歌という名称に、そこに付けて歌う曲名である時調という名称が並立するようになった」と主張して、時調が音楽の名称から始まったことを説明している。

 鄭炳昱は、「時調という名称は文学ジャンルの名称と言うよりは、音楽曲調の名称であり、そうしたものが近代に入って西欧文学の影響を受け、過去になかった文学ジャンル、すなわち唱歌、新体詩、自由詩、散文詩などが現れて、これらと韓国の昔の伝統的な詩型を区別するために、3章45字内外の特定の形態を揃えたこの詩型を音楽上の名称である時調という名前で呼ぶようになった」と、時調が文学ジャンルとして定着した背景を書いている。

 時調は初、中、終の3章で構成されており、各章15字内外として総45字内外を平時調一首と決められている。

 時調は各章を2句にして、3章6句に分けるなど見解がまちまちであるが、それは時調の作詩とは別個の学問的解釈に過ぎない。時調の3章は、自由詩の3行とは違う。すなわち初章は起、中章は承、終章は転結で、プロット(構成条件)のある詩として、各章に置かれる意味の展開が違うからである。

 詩のない民族はないが、韓国人は駆使力のすぐれた言語でどの国家民族よりも詩を大切にし、生活化する伝統を守って来た。時調はまさに韓国人の優れた感性と情緒と自然と生活のリズムが調和された音数で集約された定型詩である。

 最近では、「時調の世界化」運動が起きており、ハーバード大学のデービット・メッケン教授が英語で時調を書きながら、米国国内で英語時調運動をしているのがその一例である。すでに自由詩、小説などの韓国文学が海外の多くの国で翻訳出版されていることや、韓国の詩人、小説家たちがノーベル文学賞候補に上がる現実に照らしてみれば、時調が韓国の伝統詩として世界の人々に特別な感動を与える日も近づいている。