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2014/01/24

<トピックス>切手に描かれたソウル 第40回 「騎馬人物形土器」                                                   郵便学者 内藤 陽介 氏

  • 郵便学者 内藤 陽介 氏

    ないとう・ようすけ 1967年東京都生まれ。東京大学文学部卒業。日本文芸家協会会員、フジインターナショナルミント株式会社・顧問。切手等の郵便資料から国家や地域のあり方を読み解く「郵便学」を研究。

  • 切手に描かれたソウル 第40回 「騎馬人物形土器」① 

    騎馬人物形土器の実物

  • 切手に描かれたソウル 第40回 「騎馬人物形土器」 ②

    1977年の切手

  • 切手に描かれたソウル 第40回 「騎馬人物形土器」 ③

      1983年の切手

◆慶州・金鈴塚から出土、新羅時代の貴重な副葬品◆

 いまさら「おめでとうございます」とは言いづらい日付になってしまったが、ともかくも2014年最初の本連載で、ソルラル(旧正月。ことしは1月31日)も近いことだから、例年同様、ソウルの国立中央博物館の所蔵品のなかから干支にちなんで、騎馬人物形土器(の切手)をご紹介したい。

 国立中央博物館には、慶州の金鈴塚から出土した新羅時代(6世紀)の騎馬人物形土器が展示されている。土器は主人像と侍従像の2体があり、主人像は高さ24㌢、長さ29・5㌢、侍従像は高さ21㌢、長さ26・3㌢である。

 いずれの像も、馬の胸と尻の上には、液体が注げる穴が空いているので、薬缶のような用途で使われたとも考えられるが、副葬品として死者の安らかな眠りと死後の世界に対する願いを込めた儀礼的な品物であったとみるのが妥当だろう。

 土器は、出土時の状態が極めてよく、当時の服装等が良くわかる資料として、2体セットで国宝第91号に指定されているが、これまで切手に取り上げられたのは主人像のみである。

 主人像は装飾の施された三角の帽子と鎧を付けており、腰の左には刀を差した凛々しい姿で、馬の額には角のような装飾も施されており、儀礼の際の装束を表現したものと考えられている。これに対して、従者像は帽子も鎧もなく、馬具も簡略化されており、地味な印象である。

 さて、騎馬人物形土器は、1970年代から80年代にかけて、額面80ウォンの普通切手にも取り上げられていたから、その切手が貼られた郵便物を受け取った記憶のある人もいるかもしれない。

 騎馬人物形土器の80ウォン切手が最初に発行されたのは、1977年9月15日のことであった。この時の切手は、白い背景に土器を真横から描いたもので、当時の郵便料金では、この切手を1枚貼れば速達を差し出すことができた。

 その後、1983年6月15日には、80ウォン切手のデザインは、背景を赤色にして土器を斜め前から見た構図に改められている。また、1983年6月1日の郵便料金改正により、80ウォンは定形書状の重量便の料金となった。

 ところで、モノクロの図版ではわかりにくいかもしれないが、1983年の切手は、よく見ると、周囲に赤色の枠線が印刷されていることがわかる。

 1979年以降、韓国では、日常的に使用される普通切手に関しては、印面の周囲に0・5㍉の幅で特定の色の枠を印刷し、その色によって郵便物の種別を機械で読み取る“色検知システム”が導入された。色検知システムは、もともとは1967年から日本で行われていたものを韓国でも導入したもので、読み取り機(郵便物の種別を読み取り、消印の押印作業まで行う)も日本製であった。

 1983年の切手は色検知システムに対応したもので、理論上は、当時の日本の郵便局の機械でも読み取りは可能である。

 ちなみに、韓国で郵便番号制度が導入されたのは1970年7月1日のことだったが、そのシステムや読み取り機も日本から輸入したもので、当初は、日本同様、3桁ないしは5桁の番号を封書やはがきの上部に設けられた枠内に記入する方式が採用されていた。

 古墳時代の遺物は、しばしば、日韓交流史の貴重な資料となっているが、それを取り上げた切手からも、現代の日韓交流史の一端が読み取れるのは面白い。