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2015/10/30

<トピックス>明治期外交官・若松兎三郎と韓国:共生のための苦悩 第18回                                   大東文化大学 永野 慎一郎 名誉教授

◆木浦領事から理事官に身分変更、天日塩試験場設置がうやむやに◆

 若松兎三郎木浦領事の要請について日本政府関連部署で検討した結果、1904年12月、農商務省技師・下啓介が韓国農業事情の調査目的で訪韓した。この際、全羅南道の製塩業の状況を調査するためには充分な滞在期間が必要であると、若松領事は重ねて要請したが、下技師の訪問期間は限られ、調査対象が多岐に亘ったため、塩業調査には高下島と玉島の塩田を巡視し、資料を収集しただけであった。2島は小規模塩田で、訪問時期が12月という製塩作業のオフシーズンであった。調査は充分ではなかった。

 若松領事は全羅南道沿岸干潟地および栄山江水路状況調査のための技師派遣を再度要請した。有望な干潟地数か所を選定し、本格的な調査のため技師1名、技手2名、通訳1名を派遣し、3カ月間の実地調査を希望した。


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