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2016/08/12

<トピックス>明治期外交官・若松兎三郎と韓国:共生のための苦悩 第28回                                   大東文化大学 永野 慎一郎 名誉教授

◆1919年、仁川米豆取引所社長就任、1927年合併問題で批判受け辞任◆

 1919年5月、総督府農商工部長官小原新三より若松兎三郎宛に一通の書簡が届いた。仁川米豆取引所社長就任を勧誘する内容であった。株式会社仁川米豆取引所は仁川駐在領事館によって許可された朝鮮唯一の取引所であったが、前社長が自ら相場に手を出し、資本金4万5000円の会社が180万円の赤字を出して倒産した。

 民間会社であったが、地方経済に多大な影響を及ぼしかねず、また総督府としては朝鮮における米の値段を正当に発揚するには取引所によって公平な相場を定める必要があるとして倒産会社に対して手数料を倍額に増加する特典を与える代わりに社長を官より指名して再建に取組みたいという方針であった。


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