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2016/07/15

<トピックス>切手に見るソウルと韓国 第69回 三越百貨店京城店                                                         郵便学者 内藤 陽介 氏

  • 郵便学者 内藤 陽介 氏

    ないとう・ようすけ 1967年東京都生まれ。東京大学文学部卒業。日本文芸家協会会員、フジインターナショナルミント株式会社・顧問。切手等の郵便資料から国家や地域のあり方を読み解く「郵便学」を研究。

  • 切手に見るソウルと韓国 第69回 三越百貨店京城店

    1930年代の三越百貨店京城店の絵はがき

◆1932年に増築、解放後は韓国資本に譲渡◆

 韓国で昨年公開され、1300万人の観客を動員した映画「Assassination」が、「暗殺」の邦題で16日から東京・シネマート新宿ほか全国順次公開される。

 物語は、日本統治時代の1933年、上海と京城を舞台に独立軍の3名による、朝鮮軍司令官・川口守と親日派の政商・姜を、川口の息子と姜の娘、松子(実は独立軍側のメンバーの1人、アン・オギョンとは生き別れた双子の姉妹)の結婚式で暗殺するというもので、結婚式の会場となった三越百貨店での派手な銃撃シーンは(もちろん、完全なフィクションだが)圧巻の迫力である。

 映画の重要な舞台となった三越百貨店京城店は、一般に1930年の創業と紹介されることが多いが、厳密にいうと、三越は、1916年、京城府本町1丁目(現忠武路一街)の三中井呉服店(1905年、大邱で創業。1911年に京城に本拠を移転)の正面に3階建て660平方㍍の〝三越百貨店京城出張所〟を開設している。

 その後、三越が朝鮮総督府や京城府の御用商人として発展すると、1921年には丁子屋百貨店が、1926年には平田百貨店が、1927年には韓国資本の和信百貨店が順次開業。これを受けて、1929年には三中井呉服店の京城本店が大幅な新・増築を行って事実上の百貨店化した。

 こうして京城府本町界隈での百貨店競争が激化する中で、1929年、丁子屋が本店を延べ1260平方㍍に増築すると、1930年、三越京城店は本町通り入口の2422平方㍍の土地に移転し、延べ7590平方㍍の新店舗を構えた。これが、現在の新世界百貨店の建物の直接のルーツである。さらに、三越京城店は1932年には延べ9240平方㍍に増築されて、今回ご紹介の絵はがきのような威容となった。したがって、映画の舞台となった1933年の建物は、増築後まもない時期の姿ということになる。

 ちなみに、当時の5大百貨店の位置関係だが、現在の新世界百貨店の場所にあった三越を中心に、丁子屋はロッテ百貨店ヤングプラザ、三中井はミリオーレ、平田は大然閣センターの場所にあり、明洞を取り囲むように隣接して営業していた。これに対して、和信があったのは鐘閣交差点の右北、現在の鍾路タワーの位置である。

 当時の三越京城店は地上4階+地下1階で、朝鮮半島の建物としては初めてエレベーターが設置されていた。

 フロアごとの売り場の構成は以下の通りである。


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