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2018/05/18

<トピックス>切手に見るソウルと韓国 第88回 2000年南北頂上会談                                                         郵便学者 内藤 陽介 氏

  • 郵便学者 内藤 陽介 氏

    ないとう・ようすけ 1967年東京都生まれ。東京大学文学部卒業。日本文芸家協会会員、フジインターナショナルミント株式会社・顧問。切手等の郵便資料から国家や地域のあり方を読み解く「郵便学」を研究。

  • 切手に見るソウルと韓国 第88回 2000年南北頂上会談

    2000年の南北頂上会談を記念して韓国㊤と北朝鮮で発行された
    記念切手

◆双方の思惑が複雑に絡み合い実現◆

 4月27日に文在寅=金正恩の〝南北朝上会談〟が開催された。そこで、今回は、金大中政権下の2000年に行われた最初の南北朝上会談とその切手について紹介したい。2000年3月9日、金大中大統領は外遊先のベルリンで講演を行い、対北朝鮮政策に関する「ベルリン宣言」を発表した。

 ベルリン宣言の発表を受けて、3月17日、北京で特使級の非公開接触がおこなわれた。その結果、南北頂上会談の実施が合意され、会談では、1972年の「7・4南北共同声明」の祖国統一3大原則(自主・平和・民族大団結)を出発点とすることも確認された。

 北朝鮮側が会談に応じた背景には、なによりもまず、経済的苦境を脱するため経済支援が必要であったという事情がある。

 また、金大中政権下で採用された太陽政策の結果、韓国内で北朝鮮に対する宥和的な世論が形成されてきたが、2000年4月の国会議員選挙では、与党の民主党は、太陽政策に批判的な野党ハンナラ党に119対133で敗れていた。このため、世論の支持を得て巻き返しを図るためにも、金大中政権は南北頂上会談という切り札を早急に使う必要に迫られた。こうした思惑が絡み合い、2000年6月13日、いわゆる頂上会談を行ったのである。

 6月13日午前8時15分、青瓦台を出発した金大中は、8時55分に金浦空港に到着。「会うこと自体に大きな意味がある」、「半世紀以上対決で一貫してきた南北が和解と協力で会うことだけでも大きな前進」との声明を発表する。

 大統領専用機は、9時18分に離陸し、10時30分に平壌郊外の順安空港に到着。10時38分、タラップを降りて金正日と歴史的な握手を交わした。

 その後、大統領と総書記は朝鮮人民軍の儀兵隊を閲兵。大統領は「金正日国防委員長と共に南北全同胞が平和で幸せに暮らせる道を見つけるために誠意を尽くす」、「始まりが半分。私の平壌訪問で全同胞が和解と協力、平和統一の希望を抱くよう真に願う」との声明を発表。10時50分、2人が同乗した自動車は大統領の宿泊先である百花園招待所へと向かった。沿道にはおよそ60万人の市民が歓迎のために動員され、蓮池洞入口で女性労働者から大統領と夫人に花束が贈呈された。

 11時45分ごろ、一行が招待所に到着すると、総書記は「今、世界が注目しています。大統領がなぜ訪北したのか、金委員長はなぜ受け入れたのかという疑問です。2泊3日の間に答えを出さねばなりません」と発言した。

 同日午後、大統領は万寿台議事堂に最高人民会議常任委員会委員長の


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