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2018/09/21

<トピックス>切手に見るソウルと韓国 第92回 独立運動家 安昌浩                                                         郵便学者 内藤 陽介 氏

  • 郵便学者 内藤 陽介 氏

    ないとう・ようすけ 1967年東京都生まれ。東京大学文学部卒業。日本文芸家協会会員、フジインターナショナルミント株式会社・顧問。切手等の郵便資料から国家や地域のあり方を読み解く「郵便学」を研究。

  • 切手に見るソウルと韓国 第92回 独立運動家 安昌浩

      1983年に発行された安昌浩生誕105周年の記念切手

◆「自我革新・民族革新」のスローガン掲げる◆

 今月14日、韓国で初めて建造された3000㌧級次期潜水艦〝島山 安昌浩〟(KSS―III)の進水式が、慶尚南道巨済の大宇造船海洋玉浦造船所で行われた。というわけで、今回は艦名の由来となった安昌浩(アン・チャンホ)について。

 安昌浩は、朝鮮王朝時代の1878年11月9日、平安南道で生まれた。ソウルに出て英国人牧師、ホレイス・グラント・アンダーウッドの救世学堂で学び、日清戦争後、清朝の宗主権下から離れた朝鮮の立憲君主制導入を目指す独立教会運動に参加した後、1902年、渡米してサンフランシスコで共立協会(のちの大韓人国民会)を結成し、在米朝鮮人運動を指導した。

 しかし、1905年11月、日露戦争に勝利した日本が大韓帝国政府に第2次日韓協約(乙巳保護条約)を強要し、韓国が保護国化されて独立国としての地位を失ったことを知ると、1907年に帰国し、国権回復を第一の目的とする民族団体〝新民会〟を組織。同志を募り、各地での講演会や『大韓毎日申報』を通した啓蒙活動や、大成学校・五山学校設立等の教育事業、磁器製造株式会社設立等の実業活動、中国での独立軍基地建設事業などの運動を展開した。

 新民会は秘密結社だったが、当時の愛国啓蒙団体の主要メンバーが多く参加し、啓蒙運動の中枢的機関としてなり、1910年頃には会員数が約800人に達したが、このため、1910年の韓国併合後、日本の朝鮮総督府から危険視され、1911年、朝鮮総督寺内正毅の暗殺計画に関与したとして、独立運動家約700人が検挙(うち105人が一審有罪。控訴審では99人が無罪)される〝105人事件〟で壊滅状態に追い込まれた。

 このため、安も中国経由で米国に亡命し、1913年、修養啓蒙団体として〝興士団〟を組織した。

 1919年の三一運動後、上海で大韓民国臨時政府(臨政)が設立されると、これに参加して内務総長に就任したが、臨政は、地域派閥や党派の争いが絶えず、畿湖(京畿道・忠清道)出身でも両班でもなかった安は政府で軽んじられ、嫌気がさした安は内務総長を辞し、満洲に渡って、独立運動の根拠地として〝理想村〟の建設を目指した。

 朝鮮の独立運動家の中には、


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