ここから本文です

2021/04/09

<トピックス>切手に見るソウルと韓国 第123回 仁川上陸作戦                                                  郵便学者 内藤 陽介 氏

  • 切手に見るソウルと韓国 第123回 仁川上陸作戦                                                   郵便学者 内藤 陽介 氏

    ないとう・ようすけ 1967年、東京都生まれ。東京大学文学部卒業。日本文芸家協会会員、フジインターナショナルミント株式会社・顧問。切手等の郵便資料から国家や地域のあり方を読み解く「郵便学」を研究

  • 切手に見るソウルと韓国 第123回 仁川上陸作戦                                                   郵便学者 内藤 陽介 氏

    1959年に発行された韓国海兵隊10周年の記念切手

  • 切手に見るソウルと韓国 第123回 仁川上陸作戦                                                   郵便学者 内藤 陽介 氏

    元になった仁川上陸場面の写真

 先日開幕した韓国のプロ野球は、今シーズンから、SKワイバーンズがSSGランダースに球団名を改称し、4日には本拠地の仁川で初の公式戦も行われた。

 旧チーム名のワイバーンズは飛龍の意味だったが、新名称のランダースは、仁川国際空港や仁川港などを擁する仁川が韓国屈指の国際都市であることから、〝上陸する(land)〟にちなんだ名称だという。

 仁川で上陸といえば、筆者などはやはり、韓国戦争中の1950年9月15日に行われた仁川上陸作戦を思い浮かべる人も多いのではないかと思う。

 1950年6月25日、朝鮮人民軍(北朝鮮軍)の南侵によって始まった韓国戦争では、3日後の6月28日、首都・ソウルが陥落。朝鮮人民軍は、その後も破竹の勢いで南侵を続け、7月4日には水原を、同20日には大田を占領。韓国政府は7月17日には釜山への移転を余儀なくされた。

 その後、韓国・国連軍と朝鮮人民軍の間では、釜山橋頭堡(半島南東部の馬山=洛井里=盈徳を結ぶ南北153㌔、東西90㌔の防御線)の攻防をめぐり、激戦が展開されていたが、国連軍はなかなか苦境を脱することができなかった。

 こうした状況の下で、国連軍総司令官のマッカーサーは朝鮮人民軍の後背地にあたる仁川への上陸作戦を敢行する。

 仁川は干満の差が激しいうえに、付近は泥洲で海浜もないため上陸用の船艇は使いづらい。このため、開戦後まもない1950年7月上旬にも仁川上陸の〝ブルー・ハート計画〟が立案されたものの断念されていたという経緯があった。


つづきは本紙へ